雑誌を買いに、泰成君走る

小学生の泰成君は、火曜日の夕方は、商店街を抜けて、駅に向かって必死に走る。
駅の売店に、漫画雑誌を買いに行くのだ。
当時は、定価は40円だったろうか。
やがて、特大号60円が、たまに出た。
少年マガジン、少年サンデーの発売日。
当時は、雑誌は、駅の売店が、発売日の前夜から販売していた。
息を切らせて、駅の外の売店に着くと、どちらかを立ち読みして、読んでない方を一冊買って帰る。
帰りは、ゆっくり歩きながら、読む。
そして、家の近くの貸本屋に売って帰る。
10円くらい安く売ったのではなかったか。
雑誌の卸販売だ。
お金より、1日でも早く読んで、翌日、クラスメートの自慢したかったのだ。
お小遣いの節約もあったあろうが。
寒い夜も、なんのその。
胸はワクワク、気持ちは待ちきれなかった。
雑誌の表紙を見るだけで、心臓はドキドキしたはずだ。
雑誌の発売日を、ワクワクして待つ様な事は、今はない。
藁半紙のような、紙の手応えも覚えている。
ああいう、触感の記憶と相まって、ストーリーも覚えている。
絵と紙の触感と、夕暮れの駅の風景。
それが、小学生の時の、独り立ちの記憶だ。
小学生が商店街を走っていると、声をかける大人もいる。
期待で、笑顔が溢れた子供が必死に走っている。
商店街の道のりは、長かったが、苦にはならない。
ああいう、待ち焦がれる期待の時間は、どこに行ったのか。
そういう雑誌も無くなってしまった。
ネットで、常時、情報を得られるからだろう。
映画ですら、さまざまな予告編を、ネットで、ふんだんに観ていると、既に映画館に行って観てきたような錯覚に陥る事がある。
最近の私は、日々の予定をこなすだけで、精一杯。
明日という日を、ドキドキして待ち受ける前夜が無くなってしまった。
老いるという事は、人生の日々に慣れすぎるという事か。
慣れた安寧か、新鮮な不安の日々か。
明日は、どちらだろう。

パルスオキシメーター 99・99・99
体温36.2 血統141

夕方のランナー 代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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