六本木族の来襲

久しぶりに六本木ヒルズの映画観と美術館に行ってみた。
今年見落としていたアニメを日本観た。
残念ながら、冬休みになのに、映画館はガラガラで、子供も僅かだった。
でも、美術館、展望フロアーは、人で一杯。
レストランも満席だった。
私は、ヒルズの開業時から、3年間、ここで暮らしていた。
創業期の六本木ヒルズは、刺激的だった。
時代の先端を行くベンチャー若手経営者や、芸能人、モデルが闊歩していた。
ヒルズ暮らしは、毎日がお祭り騒ぎ、映画祭のようだった。
そのヒルズの今の雰囲気は、変わった。
ごく、普通になったのだ。
麻布台ヒルズが竣工し、そちらにアクティブな人達が流れたのかも知れない。
でも、とにかく、行き交う人が、昔の六本木族らしくないのだ。
キラキラもギラギラもしていない。
まるで、落ち着いた上野の街角だ。
時代も変わり、六本木は、刺激的な先端の町ではなくなったのだろうか。
成熟したとも言える。
東京は、山手線で言えば、世代が、左回りに移動しているように思う。
新宿は、不健全で怪しげな若者の酒場街から健全なビジネス街に変わりつつある。
その若者達は、渋谷に移動した。
でも、渋谷も駅再開発のもと、ビジネスビル街に変貌しつつある。
六本木を賑わした、ITベンチャーの若いお金持ちは、今は、銀座に来るようになった。
年を取ったのだ。
成熟したのだとも言える。
私には、六本木族の来襲と捉えているが、悪い意味ではない。
次世代のお金持ちが、銀座を目指す。
常にどの時代も、日本中の成功者が、銀座を目指した。
銀座の焚き火は、絶えることはない。
常に全国から、新しい薪が、運ばれてくるのだから。
その銀座の町は、今はどうなっているのか。
六本木から流れて来た中年客と、浅草・上野から流れて来た年配客の双方が混在している。
インバウドの外国観光客は別にして。
5年くらい前に、日本橋の上野化を感じた頃があった。
ヒルズのようなコレドが新しい日本橋の集客施設となってからだ。
銀座では老舗の店が生き残っている。
でも、上野から日本橋界隈は、老舗の力が落ちたように見える。
その事が、良い事でも悪い事でもない。
歴史的な町の変貌であり、それを成長とも衰退とも言える。
東京は、変化しているのだ。
池袋は、百貨店が消えて、電気量販店に変わる。
これは、秋葉原の雰囲気になる事だろうか。
例えが極端であるが、私はそのように捉えている。
銀座の街並みは、大きい。
それでいて、ニューヨークのように道が整っている。
老人にはありがたい。
坂の多い渋谷の街は、老人と車で来るお客を避けていると思う。
銀座は、1丁目から8丁目まであるが、銀座も東と西に、商圏が分かれている。
これも、私の独断的な分析なので、お許しを頂きたい。
銀座は、一つではない。
実は、日比谷、有楽町、銀座、築地の連合国、共和国だと思う。
ブランドもイメージも、うまく共生してコラボしている。
私は、銀座で人生を送ってきたが、最期まで、銀座を細見して行くつもりだ。
勿論、銀座の若き後継者の人々と共に、銀座を楽しみながら。
銀座を満喫できる日々の生活は幸せだ。
でも、本音を言えば、銀座は仕事をする街ではなく、遊びに行く街だ。
これは、聞かなかった事にしておいて欲しい。
地方で働いて、銀座に遊びに来る人が銀座を繁栄させて来た。
銀座と地方と全国に仕事がある自分は、幸せだ。
湖山Gのおかげだ。

パルスオキシメーター 98・99・98
体温36.1 血糖180

銀座の元若旦那 代表 湖山泰成

【銀座湖山日記】

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