勝たずとも、負けずとも。
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私は、勝負事が性に合わない。
人と争う事も、競うことも嫌いなのである。
不正、不正義に関しては、訴訟してでも争うが、これは、世の正義を守り、不正を正す為で、己の利得の為ではない。
子供の時から、競わなければならない競技には関心が薄く、夢中になる事はなかった。
負けるのが嫌いだからだと、言うわけでもない。
やむ追えず、そのような状況になっても、負けるとホッとする。
勝ったりしたら、もうひと勝負などと言われそうだ。
勘弁して欲しいと思う。
これは、如何な理由なのだろう。
自分でも、不思議に思っている。
世には、何でも、ゲームに、勝ち負けにしないと、面白くないと考える人がいる。
ゴルフでも、私が握らないと、不思議がる人がいる。
野球を観ても、どちらが勝つかで、ビール代を賭けようと、絡んでくる。
こう言う人に絡まれるのは、願い下げである。
集団行動や、群れるのが嫌いなのは、私が人嫌いなわけでも、偏屈なわけでもない。
親しい人と、禍根を持たずに競う事ができない。
私は、勝敗にこだわる、スポーツ、ゲームを楽しむ事ができない気性らしい。
人生にも、経営にも、勝ち負けはない。
存在し続ける事に、意義がある。
平和に、ただ生きているだけで、神に感謝する。
そう思う私には、闘争心が欠けているらしい。
常に、日常平静で、争わず戦わず、温厚でいるのは困難な世の中だ。
最近、囲碁を勉強している。
チェスや将棋は、王の首を取るまで終わらない。
狩猟に似ている。
勝負にこだわらないのか、逆に、負けるのを忌避しているのか。
その点、囲碁は、対戦相手の事より、空間の広がり、宇宙の大きさを感じる。
野山に、畑を広げているような気がするのだ。
強くなければ生きて行けない。
優しくなければ、生きている資格がない。
私の人生は、ハードボイルドなのだ。
血糖178 非常食のご飯を試食する。
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 湖山 泰成