境界領域
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30年前頃に、私は、全国地方に当時には珍しかった老人保健施設を7つ開設した。
そこは、東京銀座からはるか離れた、中山間地の、県境に近い町だった。
瀬戸内の離島もあった。
後でわかったことは、県境は、歴史的に自然の山脈や川で仕切られてた。
平地を、直線で切って、行政区を分ける事はなかったのだろう。
県の発生は、もとも、江戸時代の藩をまとめて、仕分けたものだ。
今に思うと、藩の境界は、生活圏に基づいているが、県の境界は、政治的だ。
最初の老人保健施設を作った町を視察した時のことだ。
ゴルフ場開発の事業に、企業の健康センターを作って欲しいと頼まれたのがきっかけだった。
街の周辺は、どこも、スキーをするのに相応しい、山脈の峰々だった。
その頂点に立った時、案内役の町役場の人に教えてもらった。
ここが、町の境界です。
雪の下のどこが、境界かは、正確には、わかりません。
江戸時代は、水利権を求めて、部落同士で、竹槍で戦ったそうです。
確かに、国の境界は、戦争で生まれた。
政治、行政の境界は、歴史上、様々な利権や戦争によって定まった。
私は、現在の行政区や、仕事柄、2次医療圏くらいしか意識しない。
あらゆる境界は、平和的には、生まれない。
実は、銀座の北と南は、高速道路によって、囲まれている。
その下は、商店街になっている。
下は、川だったのかもしれない。
そこは、銀座の中央区と、千代田区と、港区との境界になるはずだ。
でも、高速道路のどこが、境界になるのか、明快ではないと聞いた事がある。
税金の支払いどころが決まらないのだ。
今は、もう、調整がついたのかもしれない。
それにしても、土地の境界は、自然の大地と、人間の欲望と権力闘争で生まれて来た。
そういえば、選挙区の仕切りもそうだっただろう。
選挙は、現代の戦争とも言える。
権力と闘争に縁のない、医療福祉の世界にいて良かった。
今朝の配信が遅いのは、朝まで熟睡していたからです。
ご心配なく。
最近、昼間の会議で、わめく事が多く、疲れているのだと思います。
夜は、U-NEXTのアメリカ刑事ドラマを耳にしながら、寝てしまいます。
私は、静寂の中では、落ち着かないようです。
いつも、人声に囲まれているのが、安心するようです。
目が覚めると、孤独な中で、皆さんに、声を掛けているのです。
寝起きの、赤ん坊の泣き声みたいなものなのでしょう。
昨夜からの、新潟の豪雪が気になります。
慣れた北国の人達ですから、大丈夫だと思いますが。
血糖155 チョコレートが切れていました。
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 湖山泰成