新潟中越地震20周年
銀座の救急病院から始まって、今年は、湖山医療福祉グループ設立40周年になる。
最初は、銀座の商店街の青年部に入り、銀座祭りの企画担当もした。
当時は、若旦那だったが、今は銀座の御隠居である。
当初から、新橋にあった、地域交流センターに通い、街づくりの勉強会に通った。
都心の街づくりから、地方の活性化の企画が多くなり、それが、道の駅の企画に繋がった。
道の駅は、防災、地域医療のネットワークの拠点であるという立場で、道の駅の企画に積極的に発言した。
道の駅、川の駅、人の駅など、様々な企画ができたが、本来の防災拠点の意義は、忘れかけていたように思う。
東日本大震災の時、道の駅を避難所、物資運搬拠点として使おうとしたが、行政が動くのに、半年かかった。
その時代は、既に、道の駅は、観光物産拠点で繁盛しており、防災拠点である事は、半分忘れられていた。
時代の風化である。
湖山Gは、病院発祥であるから、病院会での、DMATの活躍をよく承知していた。
高校の尊敬する先輩で、中核で活躍していた院長がいたのだ。
災害現場で、社協などの動きは、わからなかったし、見えなかった。
救急は医療だ。
でも、20年前に、新潟中越地震があり、その時に、災害後の福祉法人の長期的支援の大事さを知った。
その活動の中心にいた、特養ホーム施設長を口説いて、ネットワークを作るように提案し、初代の代表になってもらった。
その開設資金200万円も、私が個人寄付をした。
災害福祉広域支援ネットワークと言う、行政用語に辟易し、サンダーバードと名付けたのも私である。
これは、良かったと、今でも思っている。
子供の時から、ファンだったのだ。
でも、全国全県に会員を募り、首都圏大震災、東海大震災でも、活動できる体制を作る志だったのだが、最近は、開設当初より、会員数が減ってしまっている。
創業者の責任として、改めて、会員増強に努力したい。
メンバーを募るからには、強力な装備も必要だ。
対コロナ戦略特別車両カートも、既に3台があるが、来週には、1台を出動させる予定だ。
また、特徴を持った、機能別カートも増やす。
移動本部無線放送指揮車両。
つまり、サンダーバード1号にあたる。
期待して待っていて欲しい。
老兵は、若者の活躍を感謝している。
パルスオキシメーター97・98・99
体温36.6 血糖241 深夜のカレーパンの報い
老兵は必ず戻って来る 湖山G代表 湖山泰成