流されるゆく日々

私は、考えてみると、人生に目標とか、仕事の期限とか、スケジュールとかを意識した事はない。
その日暮らしというほど、風流でもなく、濁流の中のボートを必死に操舵している状態である。
この流れの先が、静かな湖に向かっているとは到底思えないので、まだ見えぬ滝が迎えているのではないかとの恐怖に怯える事もある。
それでも、川の流れに乗るしかない。
この流れは、厚労省の政策である。
財務省の方針とも言える。
役員会で、法人の事業方針が出されても、毎年、同じではないかと不満に思う。
政治家の演説と同じではないかと。
進歩がないし、具体的な目標になっていない。
この日記を書く度に、月日を書き入れるので、己の残された寿命を意識する。
後、何日、この日記を書けるのだろうかとか、後、幾つアイスクリームを食べられるだろうかとの類いである。
私のベットの横には、カレンダーが3つ掛けてある。
今は、4月5月6月。
毎月、3枚のカレンダーを破る。
我が家は、どこの部屋にもカレンダーがある。
トイレにも。
風呂場にはなかった。
また、どの部屋にも、時計が置いてある。
無意識に時計に目が行く。
まだ、認知症ではないと思いたいのだが、日々、月日の確認と、時間が気になる。
書類にサインをする時、月日を確認しないと不安なのだ。
映画を観ていても、何度も時計に目が行く。
映画の進行状態を気にするのだ。
後、何分でクライマックスを迎えるのだろうとか。
脚本家の気分で、映画を観ている。
この精神状態は、子供の時から続いている。
いつも、時間に追われている。
不思議だ。
そんな必要はないのに。
誰に追われているわけでもない。
誰を追いかけているわけでもない。
それでも、走り続けている。
せっかちな性分なのだ。
落ち着きの無い子だった。
今も変わらぬようだ。
出社の時間まで、録画したテレビの映画のどれを観ようか迷っている。
寝ていた方が良いのだが。

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湖山G代表 サンダーバード代表 湖山 泰成

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Posted by kobayashi