記憶の重量、心の本棚
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最近、あまり本を読まなくなった。
昔は、いつも、本を一冊は持っていないと落ち着かなかった。
小学生の頃は、通学の地下鉄で、往復、1冊の本を読めた。
千代田区に、越境入学で、遠距離通学だったのだ。
昼休みも、友達がいなく、1人図書館に隠れるように閉じこもって本を読んだ。
そのせいで、6年間で、小学校の図書館の本を全部読んだ。
その頃読んだ偉人伝、歴史、図鑑の知識の影響で、人生を生きて来たように思う。
その頃の手塚治虫や石森章太郎のSF漫画の記憶も、消えることはない。
考えると言う事は、本を読むことだと思っている。
中学校からは、推理小説、そしてSF.。
常に、外に向かう飛躍した発想は、その頃からのSFの影響だ。
映画も、宇宙船の出る映画は、全て観ていると思う。
地球から、ロケットで宇宙に旅立つ事に憧れがあったのだろう。
では、生身の実生活はどうであったか。
子供の時から、皇居の周りで、主に銀座で過ごしていたので、華やかさに囲まれていたのも間違いない。
小学校の低学年の頃から、映画館、歌舞伎座、宝塚、帝国劇場、ホテルが週末の居場所だった。
母との待ち合わせの場所だったのだ。
5歳くらいの泰成君の最初の記憶は、日比谷公園と帝国ホテルである。
高校くらいからは、日比谷図書館にこもる日々があった。
図書館は、泰成君の秘密基地だった。
大人になってからは、地下の食堂でビールを飲みながら、本を読めるのも気にいっていた。
そんな縁で、日比谷公園の思い出ベンチ寄贈の第一号となった。
そのベンチには、父と母の名前が刻んである。
最近、この日記を書く時に頭に浮かぶのは、未来ではない。
普段忘れたはずの、過去の記憶が蘇ってくる。
両親や、先にこの世を去った同級生や、その頃の思い出である。
昔のガールフレンドは、もはや孫をあやしているだろうから、その姿はあまり思い浮かべたくはない。
過去の記憶は、大きなワインの樽のように、大きく、重く、芳醇だ。
本も、新刊よりも、昔読んだ本をもう一度読みたいと思う事が多くなった。
日比谷図書館や、中央図書館や、神田古本屋街で、昔読んだ本を見つけるは、昔の友人に街角で偶然出会ったような懐かしさがある。
そのせいか、少なくとも、小説に関しては、新作は全く読まなくなった。
昨年、大阪の民俗学博物館を40年ぶりに訪れて、梅棹忠夫先生の著作を何作も買ってしまった。
ただ、ただ懐かしかった。
映画館も、私にとっては、秘密基地でもあり週末の別荘でもあった。
でも、最近はテレビで、過去の作品を観て、その頃の時代を思い出せるかの、認知症テストとなっている。
正直言って、面白いと思える新作が少なくなってしまったのだ。
その監督の昔の作品の方が良かったなあ、と思う事が多くなった。
でも、それは、作品の出来ではなく、その時代の自分が、今の自分より輝いていたと思っているのだと、今、気がついた
老いて、今の自分の姿を鏡で見ることは、哀しい。
また、若さ故の過去の過ちを認める事も辛い事だ。
人間は、ある年になると、未来への好奇心が薄くなる。
でも、その事が、死への恐怖も薄くなり、また、未来の社会への責任感も薄くなるのだと気がついた。
人生の記憶の重量は、今の体重に匹敵して重い。
心の本棚も、一杯になったのだろうか。
自分の人生に関心がなくなり、保育園の園児の姿が眩しい。
絵に描いたような、孤独な老人になったのだろう。
映画「生きる」の主人公のように、公園のブランコで人生を終えるのも、幸せだなあと、思えるようになって来た。
でも、湖山Gの未来への責任を忘れた事は、いっ時もない。
この日記を書き終えた時は、いつも、戦闘モードに戻る。
安心して欲しい。
行ってらっしゃい、ではなかった。
今日は、日曜日だった。
でも、湖山Gの仕事は、365日24時間。
人の命を支える責任は重い。
その責任を担っている職員への、尊敬と感謝の気持ちは、絶ゆる事はありえない。
被災地への道行も、感染対策をしたキャンピングカーのカートで行ってもらう。
私は、007に登場するQみたいな役割なのかもしれない。
でも、アストン・マーチンは期待しないで頂きたい。
血糖192 あごの出汁でご飯を炊いた
カーテンコールの拍手 湖山G代表 湖山 泰成