人生はワンカットにあらず
映画でも、最近、全編ワンカットと言う映画があった。
カメラの長回しと言う言葉もある。
テレビも、映画も、実はカメラは、神様のように様々なポイントから撮影している。
ロング、アップもする。
神様の視点から、自由自在。
多くの登場人物の気持ちを、様々な向きから撮影する事で表現している。
それをわざわざ、カメラワークを制限する。
1人の視線のみで、物語を語るとも言える。
1人の探偵の視線で、映像が進むというハードボイルドの映画があったが、その後、そのような映画は見ない。
今では、カメラワークを固定する方が不自然なのだろう。
アクション映画の、カメラワークは、蜂の舞だ。
それで、すごいアクションを見せている。
カメラが固定で動かさない撮影は、ドキュメンタリーに多い。
脚本がなく、どのように動くか予測ができないからだ。
これも、長回しになり、編集をする。
舞台もそうだ。
舞台が暗転して、初めて、舞台設定が変わる。
舞台と、映画は、演ずる方も、観る方も、全く違う。
最近、タイムトラベルの映画が、舞台となった。
また、歌舞伎が、映画に。
どちらも、撮影技術、舞台演出の進歩のおかげである。
私は、カットわりの多い、アクションシーンが好きだ。
万華鏡のような、神の視線を楽しむ。
舞台は、現実の人生の視線に近い。
自分の位置からの、一つの視線、視界。
でも、私は、神の視線で、全てを一度に分からせて欲しいと願っている。
歴史の本も、過去を分析する神の視線で書かれている。
鳥の目線、虫の目線と言った作家もいた。
生活、仕事は足下からだが、思考は、全宇宙を巡る。
時間も飛び越える。
ベットの中にいても。
血糖176 歌舞伎座の人形焼
湖山G代表 サンダーバード会長 健康の駅副会長 日本棋院評議員 湖山 泰成