公益法人の経営
最近、古手幹部と将来の湖山G幹部人事を考える時に、必ず出る愚痴がある。
「最近の人は、責任感が無くなった」
年齢に関わりなく、である。
昔は、「最近の若者には、意欲のある人が少なくなった。」
でも、今は、いい年の幹部にも、事件、問題の対処法を論議しても、ただ黙っていて、積極的な対処をしようとしない人が多くなった。
上司の私の顔色をみているだけなのか。
自分の責任を責められるのが心配なのか。
幹部は、医療介護現場の火事の火を、まず消す。
バケツの水でも良いから、現場に飛んで行って、掛けてくる。
「自分で対処しようとしていたのです」
それが、連絡報告が遅れた理由になるか。
どういう職員を、人事評価で、管理職に任用するか。
私にとっても、永遠の課題である。
組織が大きくなり、施設体系も複雑。
医療福祉に求められるものの内容が、幅広く、より重くなった。
でも、医療福祉の世界で働こうとする者の意欲、職業倫理は、どうだろうか。
高い倫理観、使命感があって当たり前だと、私は思う。
でも、最近は、安定した、競争の少ない職場として意識されているのではないか。
医療福祉介護保育は、須く専門職が多い。
専門職の資格をとった若者は、それだけで、社会で仕事ができると誤解しているのではないか。
いや、甘えているのではない。
それは、医師についても同じだ。
公益法人とは、国家行政の法律規則の下にある。
国家行政の、制限、指導を受ける。
実は、須く、世の財団、社団の理事長も、同じくなってしまった気がする。
アメリカは、企業成功者が、私財を投げ打って、設立する。
日本は、税金や、行政の管理に頼りすぎていると思う。
最後は、理事長の自分の反省となってしまった。
医療福祉に関わらず、町づくりの箱物事業の行き詰まりが多い。
莫大な税金が投入されているのだ。
行政が、税金を頼りに、安易に、コンサルタントやイベント業者に任せる。
でも、責任と体力のある、民間事業者はどこにいるのか。
42年経っても、湖山Gは、地方創生、医療福祉のベンチャーである。
国体のあり方は大丈夫か。
日本国民の民族、国家意識は、変わってしまったのか。
私の探究心は、政治学、歴史、社会学の世界にまで、及ぶ。
過去は、日本が西洋から、あらゆる事を学んだ。
少子高齢化のせいなのだろうか。
日本こそ、世界の国家の病理の、最先端になってしまったのかと思う。
平凡な、普通の国であって欲しい。
覇権国家、帝国である必要はない。
でも、それらの植民地には、なりたくない。
世界に目立たない、幸せな凡人平和国家であって欲しい。
新しい、ローマ法王は、どのようにお考えであろうか。
教皇選挙を描いた映画は興味深かった。
次は、その後の教皇も描いて欲しい。
先は、長いのだ。
多分。
血糖181 冷凍しておいたご飯を、同じく冷凍しておいたタラコで食べる。
そして、朝風呂だ。
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 日本棋院評議員 湖山 泰成