競争嫌い
父は、普段は温厚のように見えるが、実は、ゲームをすると熱くなって引かない人だった。
将棋も、碁も、ゴルフのパタも、麻雀も、最後まで熟考を重ね、粘って粘って最後には引き分けに持ち込んだ。
自分の熟考の為に、いくらでも対戦相手を待たせる。
宮本武蔵と佐々木小次郎の対戦か。
友人の対戦相手は、医者はいくら相手を待たせても平気だからなあ、などと、諦めていた。
父は、株も不動産も預金も現実の財産には何も関心が無かった。
でも、ゴルフでチョコレーを握る事にはこだわった。
とにかく、勝負強かった。
それに比べ、小生は、ゲームやスポーツ、勝負事に全く関心がない。
だいたい、勝ち負けが嫌いなのだ。
負けるのを好きな人はいないだろう。
私は、勝つのも嫌いなのだ。
居心地が悪いのだ。
これは、親の教育の成果か、比較宗教哲学を学んだ故か。
野球も、どちらが勝っても良い。
沢山打って、大勢選手が塁に出て走ってくれるゲームが面白い。
特定のチームのファンになることはない。
ゲームに物語と熱狂を求めているだけだからだ。
映画を観ている気分と、変わらないのかもしれない。
このような人間の経営は、如何なるものに相成るのか。
つまり、日々、ライバルと競争しなければならないような経営は避けるのである。
はっきり言って、逃げるのである。
離島も中山間地も、もともと競合相手はいない。
病院も老健も特養ホームも、1軒しか無いような人口の町村から始めた。
県内の有力法人は、皆、東京を目指す。
湖山Gは、銀座から地方に羽ばたいた。
湖山Gの法人施設は、地方の町においては、ナンバー1どころか、オンリー1である。
他者を意識せずとも、真面目に誠実に医療看護介護保育をすれば、経営は成り立つ。
患者、利用者だけを見つめていれば良い。
孤高と言うか、平凡の極致と言うか。
でも、その事を誇りにして、40年の月日を迎えた。
これは、湖山泰成の性格が、湖山Gの法人の性格にもなってしまったのだ。
トップの器量の限界が、会社の限界ともなる。
私は、自分の発想にそろそろ限界を覚えるようになった。
これは、湖山Gの経営力の限界とも言えるが、その凡庸さが、非凡となった。
日本の医療介護保険制度のおかげとも、限界とも言える。
その官製保証の制度も綻び、弱体しつつある。
財政難と人手不足で、医療介護崩壊もあり得る。
この医療福祉業界で、湖山Gは未来をどう生き残るのか。
勝つことも負けることもなく、生存し得るのか。
他者が追いつけない自己ブランドを築けば良いのか。
競争者の少ないブルー・オーシャンを探せば良いのか。
それは、未来を担う、湖山の若人に考えて貰いたい。
能登地震214日 血糖162
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅理事
漂えど沈ます 湖山泰成