クリスマス・イブの祈り

今日がクリスマス・イブである事に、今気がついた。
この日記を書くのに、日にちを確かめるおかげだ。
暇な人は、曜日を忘れ、忙しい人は、日にちを忘れると言う。
週末は、自宅にこもっているので、普段意識するのは、金曜日と月曜日で、日にちは忘れている。
毎日、毎月、役員会の日程でエスカレーターに乗ったような日々に流されている。
年末らしいクリスマスは、先週中に、母子支援施設のクリスマス会を済ませて以来、それっきり。
他にクリスマスパーティーらしきものは見当たらない。
なんと寂しい事か。
コロナ以来の社会現象か。
銀座の街並みも、あまり、クリスマスを感じない。
街角からジングルベルも聞こえない。
テレビも、クリスマス特集などみあたらない。
クリスマス商戦などの言葉は死語か。
ヤマト福祉財団の、障害者授産所のスワンベーカリーで、沢山クリスマスケーキを買って、職場に配ったのは、何年前の事か。
明日、銀座のお店に行ったら、ケーキは安くなっているのだろうか。
今はそんな時代ではないのかもしれない。
最近、目が疲れてしまい、本を読む量が激減している。
最近の新刊本に、魅力がないと言うのも本音だが。
施設に置いておいた、昔の本の方が、知的刺激があった。
名著、古典だ。
懐かしいだけではなく、知識よりも考え方、知的アプローチの仕方、美的センスを感じる。
私は、さほど進歩していないのかも知れない。
私の頭脳が、老化しただけだろう。
最近、自宅では、テレビも見ず、ネットのユーチューバーの講演や、ニュース番組を、寝ながら聴いている。
そのまま寝てしまうのだが、パソコンは、番組自動送りで、番組は続く。
まるで、睡眠学習だ。
同様の内容を自動検索しているので、似た番組ばかりが続く。
なるほど、ネットでは、意見が先鋭になってしまう。
都合の良い、同意見ばかり聞かされるので、そう思い込んでしまう。
反対意見の番組を探すソフトはないものか。
AIならば、可能だと思う。
思想バランスをとるのも大事だ。
ネットサーフィンは、楽で楽しい。
でも、意見の波にさらわれやすい。
それに比べて、読書は、単独の山登りだ。
体力のある若者のうちに、もっと山を登っておけばよかった。
波に、さらわれたい気持ちも、なくはないが。
若い時に作った、頭の中の、知的マップは、まだ忘れていない。
知的冒険の探検の旅は、続く。
もう、パソコンと頭の中の世界だけだが。
リアルな世間は、辛い事ばかりだ。
楽しい事は、若者達と行く、ディズニーくらいだ。
暗い、重い映画も懲り懲りだ。
こう言う気分の時は、派手な宇宙船が登場するSF映画か、踊りの止まらないインド映画、マサラムービーに限る。
心が躍るのだ。
ベットで、布団をかぶって、寝たきりでいても。
メリー・クリスマス❗️

パルスオキシメーター 98・98・97
体温36.5 血糖93

寝たきりのサンタ 代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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