4つの人格、4つのOS
哲学者エマニュエル・カントは、朝4時に起きて、長い散歩をして、思索をしたと言う。
哲学者の小径とは、京都大学の近くではなかったか。
私は、運動不足の解消として、この日記を書いた後、朝食を取ってから、食堂の丸テーブルをアキレスの運動靴を履いて、グルグル回っている。
テレビのニュースを観ながら、窓から外の公園の緑を眺めながら。
今の時期は、クーラーを最強にして。
そして、朝風呂に入る。
その早朝の時間の私の人格と、昼間いつも人に囲まれ、職員とも、来客ともディベイト状態の私の人格は違うと思う。
すると、稟議書をメールで読んでも、時によって、私の決済、決断が違う可能性がある。
私は、稟議書、報告者は、3回は再読する。
夜中に、寝床で、iPadで。
アイフォンで、昼間、来客や、移動の車の中で。
週末、美術館や、映画館で。
だから、何度も、環境を変えて、決定を考え直す。
電話で、幹部に再度意見を求める事も多い。
職員には迷惑だと思うが。
新聞も、何紙も読む。
テレビニュースも、その時間、シャンネルを変えて、多くの番組をチェックする。
環境と風景と時間で、判断が変わる。
それは、人格変貌、多重人格と思える位、私は、迷う、悩む、後悔する。
これは、コンピューターのOSが、複数あるようなものだ。
朝と晩、自宅と職場。
少なくとも、4つの環境がある。
私は、多重人格者か。
稟議書の返信を受けた方は、私の返信の時間を確かめて、異論のある場合は、時間帯を変えて再稟議を上申したら、良いかも知れない。
私の人格が変わり、価値基準が変わり、結論が変わるかもしれない。
そんな事があってはいけないはずだが。
これは、朝、自宅での思考なので、昼間、オフィスに行くとまた、違うかもしれない。
いや、忘れているだろう。
所詮、刹那的、不連続な思考決断の連続が、人間なのだ。
でも、人はやり直せる、人生を。
そう思える考え方でもある。
私は、人生はやり直せない、失敗は忘れる事ができない。
私の立場は、責任と失敗は、生涯背をなければならない。
でも、そういうドグマに囚われている自分を解放したい。
無理に決まっているのだが、最近は、そういう願いを思う事もある。
時間は、人を救い、許すことが出来るのだろうか。
わからない。
許されるべきではない。
許してはならない。
そう願う自分もいる。
パルスオキシメーター 98・98・97
体温36.5 血糖162
許されざる者 代表 湖山泰成