生誕祭
父は、内科医として、沢山の患者さんを看取って来た。
一度診た患者さんには、最期まで寄り添った。
深夜でも、日曜日でも飛んでいった。
ゴルフ場から、パトカー先導で、診療に向かう父を2回見た事もある。
父は、生きていれば、今年で97歳になる。
そして、今年は、7回忌に、あたる。
父は、暗い事、死を嘆く事、葬式が大嫌いだった。
人に、涙を見せる事をしなかった。
私も、父が1人泣くのを見たのは、祖母を亡くした時、母を亡くした時だけである。
昔は、富士山の下、湖山病院で、真夏に父を囲んで納涼会をしていた。
今年は、銀座に、全国の湖山Gの医師と、父を知る幹部達が参集し、父を偲ぶ会をした。
お盆と、父の命日の間になる。
実は、昨日は、父の誕生日にあたる。
父の遺影を置いて、明るく楽しい、父の生誕祭を行った。
湖山Gの医局会でもある。
その会場では、小学生の頃の泰成君と両親と一緒の写真と、両親が全国の湖山Gの施設を訪問した時の写真が、上映された。
私の記憶にない、まだ、若い頃の両親の写真である。
職員の配慮には、いつも泣かされる。
明け方、この日記を書くときは、いやでも両親の事を思い出す。
冷酒と、親の小言は、時間が経つと効いてくる。
今年の川崎の特養ホームの竣工式は、是非、両親に見て貰いたかった。
その職員達の笑顔を見て欲しかった。
私の人生は、後悔と涙の連続である。
でも、今も、多くの湖山Gの仲間と一緒に、湖山Gを成長させている。
そして、いまだに、父と母の視線を感じる。
湖山は長い物語である。
終章は、もう少し、待って頂きたい。
血糖182
湖山G代表 サンダーバード会長 健康の駅副会長 日本棋院評議員
順天堂客員教授 湖山聖道の息子 湖山泰成