共生型サービス
私は、言葉にこだわる方である。
会議でも、発言者の言葉遣いに、自己弁護や、責任逃れを敏感に感じる。
でも、黙っていれば、自分は責任なく、逃れられると考えている幹部よりはましだが。
行政用語は、意味慎重だ。
共生型サービスだの、連携型サービスなどの言葉を聞くと、ああ、ここに問題があるのだなとわかる。
行政も、その問題は意識しているのだな、とわかる。
でも、根本的政策変更は、難しいのだなともわかる。
はっきり言えば、政策変更も、規制緩和も難しい。
それぞれの、施設、サービス同士が、違うまま、うまく協力してね、と言っているのである。
医療と介護。
介護と障害。
老人と保育。
隣同士の間には、深くて暗い谷がある。
その谷に、愛の橋をかけるのが、湖山Gだと、冗談を言うのは、その難しさを自覚しているからだ。
民間で、橋をかけるのは、大変。
出来れば、お国の制度で、その谷を埋めてほしいのだが、それは期待できない。
そう、言われているような気がする。
規制緩和でなく、規制撤廃とできないものか。
出来ない事を承知で、愚痴を言っているのだ。
更に、もっと深い問題は、施設の職員側の、保守性だ。
医療福祉の関係者は、行政や政治の性にする人が多い。
革新者は、排除される。
業界団体の意識改革の方が先だ。
国民は、業界団体を、政治利権の塊だと、思い込んでいる。
患者、利用者と、事業者との共生が問題だ。
虐待も、カスタマーハラスメント、モンスターペアレントも、関係者に、共生の自覚がないからだ。
感謝と、信頼が無くなった社会。
それは、地獄だと思う。
天国にしろなどと、無理を言うつもりはないのだが。
スマートフォンで、仕事の合間にネットフェリックスを観た。
手の上の、虫かごだな、と思った。
なぜ、虫かごを連想したのだろう。
不思議だ。
今年は、まだ、虫の声を聞かない。
血糖188 蝙蝠は、鳥か獣か。前期高齢者ど真ん中 湖山泰成