風雲銀座城

銀座は、新宿、渋谷同じく、地区である。
その中でも、銀座は、通りであると思う。
通りの名前も、しっかり名付けられている。
銀座通りとか、晴海通りとか、並木通りとか。
ニューヨークのように、碁盤の目のように、通りが真っ直ぐに整備されている。
しかも、銀座内には、坂はない。
そして、銀座は、高架の高速道路に囲まれている。
銀座は、擁壁に囲まれた城なのだ。
その、銀座の半分を囲むように走っている、高架高速道路が閉鎖された。
そこは、遊歩道になるのである。
私は、半世紀近く、その高架高速道路を、毎日のように走っていた。
病院への通勤路として。
そこから望む銀座が、我が街だった。
高架通りは、やがて、銀座と日比谷と新橋を望みながら、歩ける、グリーンパークになる。
10年も先になるだろう。
80歳になった泰成君は、杖どころか、車椅子で散歩しているだろう。
まずは、その時代まで、地震とゴジラは来ないで欲しい。
昨日は、久しぶりに、日比谷の試写室を訪れた。
映画「フロントライン」
2020年2月に横浜港に入港し、日本で初となる新型コロナウィルス」の集団感染が発生した豪華客船ダイヤモンド・プリンセスを舞台にしたドキュメンタリータッチの映画である。
船に入る医療チームを描いているのだが、当時の状況は、複雑すぎて映画のような単純な状況ではなかったと思う。
医師チーム、学者、厚労省、自治体、医師会、病院会、そして、不安を煽るマスコミ。
そして、不安に駆られる、家族関係者と国民。
命をかけた前線に向かう医療チーム。
政策決定をするはずの、政治、役所、奥の院は、描かれていなかった。
初めての経験で、あの時、どのように決断し、どのように行動すればよかったのか。
何も出来なかったのだが、その後、医療介護施設は、コロナ感染で苦戦が続いた。
でも、その対策の為に、湖山Gは、連携して助け合った。
施設での感染対策は、進歩した。
最前線の指導者は、最前線に向かう戦士とその家族の苦しみを共感しながら先頭を行く。
その時、政府の奥の院はどうしていたのだろう。
関係者も苦しんだと思う。
実は、この時の、奥の院たる政治家と官僚が、どのように考え、どのように行動したか、検証すべきと考えている。
コロナ時期、医療の最前線にいても、国の意図、奥の院の考えは、背中で感じる。
責めているわけではない。
初めての災難だったのだから。
誰もが、悩み、苦しんだだろう。
でも、また、同じ事が起きた時。
次回は、もっと、迅速に正しく対応ができるだろうか。
湖山Gは、災害感染症対策を、考えている。
その、せめてのスタートが、カートとキャンピングカーを整備だった。
6月の映画の初日は、職員を大勢率いて映画館に行くつもりだ。
満席になった映画館で、お国の地震における感染症対策を、もう一度考えてみる。
被災の過去を、忘れてはいけない。
対策の1番目だ。
私もフロントラインにいる。
奧の院に入るつもりはない。
老兵は、消え去らない。
蟄居の御隠居も、槍は捨ててはいない。
血糖181 十日町蕎麦 映画バイオハザードも感染症映画だ。参考にはならないけれど。
湖山G代表 サンダーバード全体 健康の駅副会長 湖山泰成