この世とあの世との間で
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現生の生き残った人間が、いっときだけ、死んでしまった人間と出会う。
夢で、山で遭難した恋人と出会う。
お祭りの最中に、はるか昔に死んだ祖先と会う。
昨日観た映画では、東日本大震災の時に津波で亡くなった親と、災害現地で心の中で再会する。
それは、コンピューターで作られた、仮想空間で実現しそうだ。
エジプトのピラミッドを観る。
ヒマラヤの頂上を登る。
ナイアガラの滝に落ちる。
信長と合戦する。
いや、私だったら、銀河を飛ぶ。
でも、亡くなった身内と会いたいと思うだろう。
映画には、そういう設定も何本かある。
私の現生の暮らしにも、時々、両親が登場する。
この時間の、この日記を書いている時だ。
今も実家で1人住まいなのだが、時々、まだ、両親がこの家で暮らしているような錯覚に陥る。
両親の服や、ベットは処分したのだが、食器や家具はそのままだ。
父の書斎と、居間の本棚は、まだ、未整理のままだ。
家族の写真も、そのまま。
最近の量子物理学による宇宙論は、この宇宙もホログラムのような仮想空間に過ぎないのだと言う。
この世とあの世は、もともと繋がっているはずだ。
私の人生も、その扉を開ける時を意識するようになった。
あの世に行ったら、現世に戻りたいと思うだろうか。
こればかりは、あちらに行ってみないとわからない。
無限の異次元宇宙に行くだけなのかもしれない。
魂は、不滅か。
私が、両親の思い出を忘れない限り、そうだと思う。
親を看取ると、その子の人格は変わる。
やっと、大人になるのだ。
死者の世界との遭遇物語は、常に、若者が大人になる成長の儀式となる。
大人になりたくない。
今も、私は、そう叫んでいる。
将来、私が化けて出て来ても、驚かないで欲しい。
血糖202 夜食に塩煎餅
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長
現生の湖山泰成