品質過剰
日本の誇る製造業大手で、製品チェックに誤魔化しがあったとして、リコールが何件か新聞を賑わした。
自動車、電気製品。
日本の名だたる大手企業である。
でも、そこのメーカーに自動車が、事故や故障が発生したとも聞かないし、電気製品が壊れた事もなかったろう。
その昔、ビルの鉄骨の本数が足らなかったとして、ビルが取り壊された。
隣国の百貨店のように、催事場の床が抜けて、多数死傷者が出たというわけでもない。
これは、日本の品質保証の基準が、必要以上に高すぎるからである。
メーカーとしても、そこまでしなくても良いから、かえって順守しなくなるのだ。
交通規制もそうだ。
40キロ、60キロの速度制限など、どの車も守っていないではないか。
守りたくたって、現実には、80キロくらいで、全ての車は走っている。
40キロを順守したら、あおられるか、クラクションを鳴らされるだろう。
建前と、現実の乖離がありすぎる。
これは、教育、医療、介護の、管理書類の制作と監査も同様ではないか。
形式主義のあまり、職員定員と、記録にこだわりすぎだと思う。
結果としてのサービスのアウトプットや成果評価が、難しいからだが、元々そういうサービスなのだ。
集団処遇でありながら、個別処遇や、満足度を全ての利用者に保証する。
それは、どだい不可能ではないか。
多様な価値観の個人を満足させるのは、現状の予算や人員配置では無理が過ぎる。
小規模程良い、マンツーマン程素晴らしいと言うのは、現場からすれば正しいとは思えない。
医療介護の世界で、施設としてのサービス管理は難しい。
医療DXも、介護ロボットも必要なのだが、この世界で求められるものと制度そのものが、基本に合理化を悪とする思想に基づいている。
この宗教に似た価値基準と法律制度を変えないと、改革は出来ない。
医療と介護の制度については、本質的に目標基準の見直しから見直す時期に来たように思う。
現場の本音が、社会に届いているようには思えない。
私の声が小さ過ぎるのだろうか。
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湖山G代表 サンダーバード代表 湖山 泰成