被災支援基地 道の駅
道の駅が生まれて30年くらいになる。
道の駅は、地域の休憩機能、情報発信機能、地域連携機能の3つを想定して生まれた。
今では、地域農産物の観光物産館、ドライブインの平時の顔が有名だが、実は、創設の時から、広域災害時の支援拠点としての利用を期待されて来た。
私は、その頃の道の駅設立の準備会の医療分野担当メンバーで参加していた。
特に、私は、今でも、道の駅の一つである、健康の駅の理事であり、その認定1号施設は、湖山Gの静岡の特養ホームである。
新潟の中越地震の時も、東日本大震災の時も、道の駅が災害の支援基地として活動するには、大分時間がかかった。
普段からの、レストランや物産販売の営業を転換する事が難しかったのだと思う。
実際、民間のドライブインの営業に成り切っていた道の駅もあったと思う。
今回の能登半島地震では、被災支援基地として、利用されるのが早かった。
地震のせいで、観光客が全く来なくなったという現実があったせいだ。
また、半島では、支援ボランティアが車を止めて、休憩し、トイレを使う場所が、そこしかなかったからだ。
今回の能登半島への物資支援では、半島の道の駅を見て回った。
実際、私達が使えるトイレは、道の駅にしかなかった。
できれば、更に、災害時でも繋がる電話やネット環境があれば最高だ。
全国からの個人のボランティアは、おのずと、道の駅を目指し、集合する。
そこに、湖山Gは、物資と医療の支援をする
その支援形態を準備することにした。
今日は、埼玉で建築中のアパートを実査して、購入を決めた。
新卒の職員寮とする為である。
そして、新人研修をしている特養ホームに寄って、新人に能登半島の報告と、医療福祉の使命と、湖山Gの行動を、説明した。
人の命を守る仕事を、天職として選んでくれた若者は、私達の宝だ。
未来への希望だ。
そう信じ続ける事が、湖山Gの経営者の魂だ。
毎朝、日記を書く時に、その事を考え、大地の神に祈る。
ありがとう、湖山Gの仲間達。
血糖147 昼食は焼肉弁当、夕食はクッキー 運動はせずに爆睡
今日は、一番町いきいきプラザで能登半島報告会
湖山G代表 湖山 泰成
湖山 泰成