日々の営み
夜の銀座に、車が溢れている。
外堀通り地下の大駐車場も満車の日がある。
銀座も街の営みが戻ってきたようだ。
株価が上がったせいだろうか。
コロナ以来、健康を気遣うせいもあって、出張はおろか、夜の会合も、極力お断りしてきた。
学会もセミナーもシンポジウムも、ズーム参加が普通になった。
役員会も、全国から役員がネット参加だ。
便利だが、人間が出会うリアル感が薄れる。
日々の多くの時間を、アイパッドやアイフォンを見つめている。
銀座でも、自宅でも。昼も夜も。
何日も、ズーム会議が続くが、その為に銀座に出社する。
最近、災害支援用のキャンピングカーを6台発注した。
この生活ならば、全国キャンプツアーでも、私の仕事は可能だなあと思った。
契約書のサインは、最寄りの郵便局から郵送する。
これも、風情がありそうだ。
田舎の郵便局によって、銀座に、サインした契約書を送る。
誰も、私が何処を放浪しているかわからない。
何時、故郷銀座に戻ってくるのかわからない。
これは、フーテンの寅さんだ。
私を探すならば、映画館か美術館か図書館に行って欲しい。
私は、どの町でも、そこにいる。
どんな服装でも、ネクタイとチーフを欠かさない。
そんな出立ちの老人は、私だ。
昨日は、韓国映画を観て、公認心理士のセミナーを受講した。
私らしい、週末の土曜日を過ごし、私らしい日常を取り戻した。
韓国映画「ビニールハウス」は、以前に観た韓国映画「半地下の家族」、役所広司主演で賞を取った「パーフェクトデイズ」よりも、心に残った。
何よりも、役者が上手い。
顔の表情が、心を鷲掴みにする。
それで気がついた。
演出の巧みさか、役者の持ち味か。
映画でも、舞台役者のように、顔の表情が豊で強いのだ。
日本の映画は、テレビドラマの演出のようで、感情表現が淡白。
それで、理解した。
ズーム会議は、参加者の表情が読みきれず、不安になるのだ。
私は、映画や舞台の世界に耽溺してきた。
舞台のような、表情、感情表現に慣れてしまっているのだろう。
私自身が、いつもオーバーアクトで、素直な表現を期待過ぎるのかも知れない。
「まだわかってない、何故わからないのだ。良い加減に、わかってくれ。」
という、怒りと嘆きの毎日。
私の情感は、舞台や映画の世界にあるらしい。
街は劇場、人生は一幕の舞台。
湖山劇場は、何時も初舞台。
何時も、舞台の上の人生を歩んで来た。
この日記を書くのは、その幕間だ。
終演で、エンドロールを観るのは、まだ、だいぶ先の事としたい。
公認心理士のセミナーで、その場でやらされたアンケート分析によれば、私は今の状態では、離職も自殺もないらしい。
自己肯定感は、標準よりも高めにある。
これは、あまり信用できない。
私は、自分の人生は、後悔と恨みの連続だと思っているのだが。
血糖 133
夕食はパンとサラシア茶と、お湯を注ぐだけの保存食の、ご飯とベトナム料理のフォー。
風のプロフィールを聞きながら。
泣けてくる。 大根役者 湖山G代表 湖山 泰成