映画の3・11

3・11は、東日本大震災の日だが、映画のアカデミー賞の日でもある。
映画オタクと思われているかもしれないが、私は、オタクではないだろう。
オタクは、瑣末な情報にこだわる。
完璧な理解と、自分の解釈にこだわる。
私は、その完全主義と、こだわりに欠ける。
私には、解釈の柔軟性がある。
私の政治信条歴史観は、曖昧で寛容だ。
私は、映画の海に漂っているマンボウだ。
ぼんやり、空を眺めて、海を漂っているマンボウのように、スクリーンを眺めている。
彷徨える魂。
映画の世界に生きて、その空気を吸っている。
医療福祉の仕事は、神からの使命だが、映画は人生だ。
確かに、アカデミー賞を受賞した映画は、どれも観る価値がある。
でも、その映画そのものよりも、何故、その映画が選ばれたのかの方が、私の興味をそそる。
興行人気や、映画会社の思惑も大きい。
何よりも、アカデミー賞には、アメリカの政治状況が反映されている。
アメリカの世界への意向表明のように読み取れる。
私には、アメリカの世界への謝罪と思える。
原子爆弾を作り、戦争の悲劇を拡大した。
人種差別や貧困格差を拡大した。
良きも悪きも、アメリカの力は偉大だ。
その、偉大なアメリカの深層心理を垣間見る。
アメリカの心を知る。
アメリカの映画の主人公は、意外とナイーブだ。
スパイダーマンも、バットマンも、スーパーマンも、意外と繊細なキャラクターだ。
では、日本の心は、どのようにして、世界へ発信しているのだろうか。
無言も、日本の文化であろうか。

幸いにも、血糖計測器は時間切れで使えません。

淀川長治の孫 湖山G代表 湖山 泰成

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