災害と共に40年
40年前に、銀座で救急病院を開業した。
日本沈没ではないが、東京大地震が喧伝されていた。
30年前に、新潟で社会福祉法人の老人保健施設を開業した。
そうしたら、中越地震に遭遇した。
20年前である。
医療業界は、すぐに救援支援に動く。
でも、福祉業界は、支援の動きがあまり見えなかった。
株式会社の老人ホームはともかく、社会福祉法人の特養ホームが、基礎自治体に縛られて広域支援に動かなかった。
それで、私は、病院会に習って、全国の特養ホームを中心に、介護系の災害支援ネットワークの設立を提案した。
私が、開設費用も寄付をして、サンダーバードと名付けた。
そして、15年前に、東京の小学校の跡地に、災害支援施設を自ら企画し、開設した。
特養、老健、母子施設と、災害避難所として小型ヘリも降りられる公園を。
公園は、普段は、グランドのような、遊具を置かない多目的広場として使う。
特養ホームも、一階に、講堂のような広い地域交流スペースを設けた。
その翌年に、東日本大震災である。
台湾から、船一掃分の支援物資が、日本に来たのだが、物資を上陸させられない。
受け取り手が、決まっていないからである。
頼まれて、私が受け取り責任者になり、船一艘の支援物資を、その特養ホームに運び込んだ。
そして、職員が協力して、ワゴン車でピストン輸送をして、東北の施設に運搬した。
一年かけて、沢山の支援物資を頂き、東北へ運んだ。
昨日の事のように、その日々を鮮明に覚えている。
今年の能登地震も、家屋の倒壊が多い。
救急対応は、自衛隊が頼りだが、生き残ったお年寄りも、寒さの中で、命を削る。
高齢者に対して長期的な、生活支援が必要だ。
しかも、慢性疾患の治療もある。
新型コロナと、最近また増えて来たインフルエンザもある。
湖山Gは、介護と医療と合わせて、生活支援を行う。
医療は、オンライン診療で対応する。
その使命の下に、湖山Gの医療福祉がある。
自ら志願した仕事だ。
その志を持った人間が、湖山Gの仲間となる。
サイレンは鳴り続けている。
今年は、東京の施設で、広域災害訓練も拡大して行う。
パルスオキシメーター 98・99・98
体温36.5 血糖181
デジャビに囚われる 代表 湖山 泰成