数字では見えないもの

福祉の世界に、民間経営の自由はあるのだろうか。
プランは、厚生労働省の政策に基づいて決まる。
具体的な数値目標は、基礎自治体が決める。
実行責任は、民間の医療法人・社会福祉法人が行う。
そして、事業監査は、県市町村が行う。
行政の規制と保護の安全平等第一の福祉事業は、過去の成長時代は良かった。
でも、下り坂日本社会では、行き詰まってきたように感じる。
会議では、多数の法人施設が、月次数字だけを立板に水を流すように発表する。
それだけ。
それだけで、会議の時間が終わる。
確かに、黒字で、計画内で、問題はない。
でも、そこに感情も、達成感も不満も次への期待も感じない。
冷静で、無事やり遂げた、問題が発生しなかった安堵感だけが漂う。
それで良いのか。
未来への夢と期待は、どこで生まれてくるのか。
今を維持するだけで手一杯なのだ。
その現実を認めながらも、その空気を許せない。
受け入れるべきではないとの、経営者の本能が苦悩する。
ISOもそうだった。
認証を受けても、次への葛藤が生まれるどころか、自己満足と、停滞と硬直が生まれた。
数字だけの発表はいらないと思う。
数字は、出席者に配られた資料の表を見た方が分かりやすい。
前日迄に、メールで送られているはずだ。
なんの為に、会議をしているのだ。
数字では、見えないわからない事を分析論議する為ではないか。
現状を承認しても、許容する為ではないはずだ。
明日への施作、未来への夢を作る為のはずだ。
そして、その疑問、問題意識を共有する為だ。
そして、その葛藤と不安を共感する為だ。
未知への個別での対応は、幹部各員施設長の個別行動だ。
集団軍事行動ではない。
津波嵐での、各船の、単独退避行動に近い。
各地域での、船の航路は違う。
施設は、城は、船は、責任者に任されている。
嵐を乗り越えるのは、船長の責任感と采配にかかっている。
感じて欲しい。
この、経営者の不安と、遠くに見える、津波の恐ろしさを。
やがて、医療保険・介護保険の地割れの音が聞こえてくるだろう。
その足音は、私の頭の中では、既に聞こえて来ている。
その後の荒野も遠い雲の先に見えている。
40年前の光景だ。

パルスオキシメーター 98・98・99
体温36.1 血糖168

嵐の前の静けさ 代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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