七夕の日に

私は、28歳の時に、倒産した救急病院を再生したのが経営者としのスタートだった。
突然の若僧の経営者は、年長の幹部にとって、宇宙人の出現であったと思う。
私にとって、最初は、味方は院長の父だけだった。
年引き業者を入札で全て変えたら、リベートをもらっていた幹部が皆辞めた。
そのおかげで、再生できたとも言える。
味方の居ない戦いは、精神的に辛い。
真摯に診療に立ち向かう、医師としての父の後ろ姿が心の支えだった。
今思うと、父はいつも明るかった。
患者に、いつも笑顔だった。
医師としての、姿勢だったのだろう。
経営の事には、無関心だったので、その点では、若い私は辛かった。
でも、その後、多数の医療福祉施設を全国で立ち上げた。
いつも、単身、その未だ見ぬ町に旅立った。
政治家も、役人も、味方というより、したたかな交渉人だった。
地元の人も、強欲な商人や地主が多かった。
何故、私は、挫ける事がなかったのだろう。
頑張っていると、地元職員の中に、味方が1人だけ現れる。
その人が頼りで、その人がやがて、経営理事と呼ばれる幹部に育った。
その人がいなければ、その法人のその後の成長はなかった。
井戸を掘った人だ。
事業再生も、新規事業立ち上げも、しんどい。
1番辛いのは、トップの孤独だ。
私は、銀座と院長の父が、故郷だった。
今も、毎年、新しい施設の創業、開業がある。
その責任者は、大変。
そして、その地において、孤独だ。
その事は私が1番わかっている。
でも、心配はいらない。
私が、心して見ている。
心ある幹部が、気にかけている。
いざという時は、必ず助けに行く。
支えになる。
事業は、山登りと同じだ。
辛い道程だ。
その時、共に山道を歩む仲間がいるのは幸せだ。
事業は長い。
人生と同じくらいに。
だから、湖山の仲間を、人生の同伴者と呼ぶ。
君も、やがて、そう思える先輩に必ず出会う。
湖山Gにいれば。
少なくとも、同じ経験をしてきた私がいる。
君は1人ではない。
私も君のおかげで、日夜頑張っていけるのだから。
今日は、七夕だ。
私達は、年に一度ならず、いつでもあえる。
応援に行ける。
君は1人ではない。

パルスオキシメーター 99・98・98
体温36.5 血糖227
彦星 代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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