現職医師の引退

父は、内科診療医として、生涯を全うした人だった。
常に患者だけを見つめ、それ以外には、一才関心を持たなかった。
医師会、病院会にも出席しなかったし、ロータリーも、マスコミも、全て断っていた。
学会だけは、医学部の同窓と会える事を楽しみに出かけていった。
新薬、新しい治療法の勉強には、異常なくらい熱心だった。
経営には全く関心がなく、組織とか団体とかは信用していなかった。
信用できるのは、チームの看護師と最高の外科医、放射線画像診断医。
最高の医師と、信頼関係を築く事に、重きを置き、消化器専門医師としての勉強を絶やさなかった。
でも、1番は、外科医と、患者との間の信頼を築く、誠実な内科医であった事だと思う。
その父の遺品は、医師手帳。
そこには、虫眼鏡でしか読めないような、小さな字で、自分の健康データが毎日詳細に書かれている。
その医師手帳が、医師として働いていた何十年分も、大事に引き出しの中に残されている。
父の自分自身の健康日記だ。
毎日、メガネを外して、小さな字で、手帳に記載していた。
その父が、突然、外来を引退すると言い出した。
内科医としては、まだまだ現役を続けられる歳だったのに。
元々、聴診器は、旅行でも手放さない人だった。
休日に、患者から呼び出されて、家族を置いて飛んでいく場面も何回か遭遇した。
私の子供の頃である。
脈は、時計がなくても、握れば、経験でわかると、豪語していた現場の医師である。
その天性の医師が、診療を引退すると決心したのは、腱鞘炎で、カルテに字を書くのが負担になったからだと言う。
私は、看護師か、医療秘書をつけるから、続けて欲しいと懇願したのだが、ガンとして拒んだ。
自分で、カルテに書けず、眼鏡を外さないと、自分の字も読めない体になったら、医師はやめるべきだと、言うのだ。
その意志を変える事ができず、そのまま、病院の現場には、出なくなってしまった。
今思うと、父の健康の為にも、医療秘書をつけて、昔からの患者の診断は続けてもらうべきだった。
その後、母の死を境にして、父自身も、老衰を早めてしまった。
もっと、経営に関与して貰えばよかった。
経営には、全く関心がなかったし、理解してなかったかもしれないが、もっと、もっと、外来での白衣の仕事姿は、見せてほしかった。
患者も、職員達もそう思っていたはずだ。
楽隠居させてはいけなかった。
さて、そう言う私の引退どころは、どのあたりになるか。
それは、この日記を、この時間に、自分でワープロを打てなくなった時だ。
秘書に口述筆記をして貰うことも考えた。
でも、昼間では、仕事に追われて、気持ちは落ち着かない。
寝たきりでも、電話で口述筆記してもらうサービスもある。
でも、それでは、恥ずかしく、今のような内容にはならないだろう。
夜明けの時間の心理は、独特。
教会で、告解しているような気分で、本音を書いているからだ。
勿論、今、この時も。
両親の若い頃の顔しか浮かんでこない、この時間に。

パルスオキシメーター 98・99・99
体温36.2 血糖205

終身経営者 代表 湖山泰成

銀座湖山日記

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