映画の蔵書

私には、蔵書と言える本は、殆どない。

小学生の泰成君には、お年玉をはたいて買った、漫画雑誌のコレクションが勉強室一杯にあった。

でも、ある日、お手伝いさんが、その、サンデー、マガジン、キングの全てを新聞紙と一緒に廃棄してしまった。

古びた漫画雑誌は、新聞紙並みに見えたのだろう。

部屋を綺麗にしてあげたと、私に告げた時の、彼女の嬉しそうな笑顔は、一生忘れられない。

恨みと後悔と言う言葉を、人生で最初に知らされた、夏休みの日である。

今になれば、本よりも、初期の漫画雑誌の方が貴重となった。

ショックのあまり、その年の夏休みは、どう過ごしたのか、記憶がない。

古本屋巡りをしていたのだろうと思う。

二十歳の頃は、ミステリーやSFの蔵書もかなりあった。

でも、友達のSF蔵書と、その管理の大変さを見て、その殆どを、ミステリー仲間にあげてしまった。

知人の蔵書の管理に入れ上げる情熱と時間とお金を見て、蒐集家の地獄を知ったのである。

SFオタクの住宅環境は、蔵書のせいで、破綻している場合が多い。

家族の憎しみを買うのである。

私は、蔵書家にならず、愛読者になろうと心に決めて、今に至る。

本の整理をする時間と体力があれば、図書館に行けば良いと思っている。

だから、私は、本は読んでしまうと、人にあげてしまう。

施設に寄付した本も多い。

古本屋に売る事はしないが、地下倉庫に眠らせるのは、本が可哀想だと思っている。

お金と、本は、回る世間のお慰みと観念しているのである。

でも、取っておけば良かったと思う本はある。

再販されると、また買う事も多い。

図書館に行くと、その棚を探す。

建築写真集と映画のジャンルである。

頭の中に、蔵書棚があったはずだが、今は、すっかり消去されてしまった。

また、楽しめるさ、と自分を慰めている。

今日は、本棚に残しておいた、淀川長治の「私の映画の部屋」を読もうと思う。

血糖202  一杯だった冷蔵庫に、隙間が見えて来た。

湖山G代表 サンダーバード会長 健康の駅副会長 日本棋院評議員 

順天堂客員教授 湖山泰成

銀座湖山日記

Posted by shimada