第2章 カメラの前の風貌
テレビのドキュメンタリーは、まめに録画して観る。
医療介護、認知症、老い、貧困、戦争、そして災害。
殆どは、30分。
久しぶりに、101分の映画版を劇場で観た。
ミニシアターといえ、満席である。
観客平均年齢は60歳といったところだろうか。
ドキュメンタリーは、時間と根性がいる。
監督にも、被写体にも。
カメラを据えつけて、長回し。
絵になるタイミングを捕まえるのは大変だ。
今回の映画は、街の住民、議員、役人。
選挙にも絡む。
登場人物が、しっかりカメラ目線。
これは、演出があるのかなと思った。
取られる側が、確信犯なのだろう。
カメラに訴えている。
被写体の住民に意志が存在している。
本人が意識していないシーンはない。
これは、テレビドキュメンタリーの特徴だ。
相手は、テレビ会社の取材だから、安心しているのだ。
目的のはっきりしない、撮影者、カメラには、不安になるのだ。
登場者が、明るく、堂々と、カメラに語っている。
これが、観ている者を安心させている。
対話をしているような楽しさがある。
覗き見をしているようなドキュメンタリー。
親しさと安心感を持って語ってくれる対話のドキュメンタリー。
映画とは、本来、神の眼、無人格の心のはず。
テレビドキュメンタリーは、マスコミとしての立場がはっきりしているので、取られる側は安心しているのだ。
映画撮影チームは、身元不明であるべきか。
立場、身元、目的をはっきり明示すべきか。
どちらでも構わないのだが。撮影側の立場が気になる。
これは、全てのマスコミの取材の立ち位置の問題でもあるのだ。
撮影者の意図を気にしすぎだと、反省した。
血糖190 解凍したカレーを食べる。
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 日本棋院評議員 湖山 泰成