平時のリーダー
ラジオの取材を受けた。
歌舞伎座タワーの16階で、銀座の街並みを背景に。
最後は、歌舞伎座の前で、銀座の雑踏に囲まれて。
湖山Gの経営を聞かれるのだ。
答えるのは、銀座で育った湖山泰成の半生、ではなく人生の全てだ。
銀座で可能だった事は、日本中どこでも出来る。
日本中から、意欲のある人が銀座を目指す。
日本中の良い物は、すべて銀座に集まってくる。
銀座の松明は、日本中を照らす。
松明となる原木は、日本中から集まっている。
だから、湖山Gは、誕生した銀座から全国へ。
医療から、介護、そして保育まで。
湖山Gの世界は立体的で、その中心は銀座にある。
全国の湖山Gの心の故郷は、銀座なのだ。
その証が、本部を銀座に置き続けている事だ。
日々、能登地震復興支援を指揮する私は、戦時のリーダーだ。
でも、また、3月は決算期であり、法人経営の年度まとめの忙しい時期でもある。
戦時だけの経営などあり得ない。
平時の準備があって、戦時を乗り切れる。
平時だけでは、それは、ただの事務だ。
今年度の決算役員会は、今季の反省と、次年度の経営戦略を決める大事な戦略会議となる。
マネジメントには、平時と戦時の区分けはない。
常に戦時なのだ。
一見、何事もないように見える平時にこそ、すべき事がある。
組織変革、事業転換、世代交代、目標の見直し、不良資産の廃棄、新規投資、組織全体の意識改革。
これらの、大事な法人組織の成長変化は、戦時には止まってしまう。
戦時は、資産の消費、組織力の消耗の時期となる。
組織には、乱世のリーダーはやりたくないが、平時のリーダーなら自分でもやれると、傲慢にも、自惚れる人がいる。
こういう人は、ポストが欲しいだけの年長者だ。
ハンコを押して、命令して、人事ならできるなどと、偉そうな事を言い、楽な事だけをしようとする。
経営責任を担わず、役職だけ、ポストが欲しいだけの人なのだ。
私が抜擢をする人は、役職に関わらず、黙々と人の為に、部下のために、リスクと責任をとってきた人だ。
上昇志向の、偉くなりたいだけの人は、組織の成長を止める。
組織は、その人の器量の枠に止まってしまう。
組織は、リーダーの器量以上には育たない。
人が集まる組織と、減る組織の違いとなる。
本物のリーダーは、現場の事を思い、現場の大変さに共感し、現場の環境を良くする。
現場、戦場と共にあらねば、指揮官は務まらない。
そうでないと、責任を取らない、不祥事を起こす大企業の役員室になる。
責任のある大名ではなく、実権だけを握ろうとする、家老となる。
善意で、無能なリーダーほど、現場は苦労する。
望ましいのは、被災地の現場、感染症と戦う現場を憂慮するリーダー。
すべき政策もなく、自分のポストに執着する出世主義者の政治家は御免だ。
ただ、社長になりたいと言う人。
部長なら出来ますと言う人。
行動力も戦略もない事務官は、リーダーではない。
補佐役、秘書官だ。
戦時のリーダーは、平時にも戦略・組織の見直し、訓練、兵站の準備をする。
NPOならば、平時にこそ、会員の増強、意識改革、資金集めなどを強化する。
リーダーは、戦時においても、平時においても、リーダーシップが必要なのだ。
戦時には、向かないけど、平時に相応しいリーダーなど、あり得ない。
無用だ。
リーダーとは、平時にこそ、力量、資質を問われる存在なのだ。
乱世のリーダーは、平時にも忙しい。
私の人生に、安らぎの平穏な時代はなかった。
辛くはあったが、頼りになる戦友との出会いの、感動の歴史だった。
偶然の出会いが、経営の必然となる。
まるで、三国志だ。
血糖199 血糖のリーダーは不在
湖山三国志 湖山G代表 湖山 泰成