何事も乗り越えて来たのは、何も考えていなかったから
昨日は、職員同士の結婚式に出席した。
結婚式に出席するのは、20年ぶりぐらいではないか。
68歳の年代のせいか、コロナのせいか。
葬式だけは、多い。
何時もダークスーツにネクタイとポケットチーフの出で立ちなのは、そのせいだ。
新婦は、日本アニメが好きで来日し、湖山Gの介護施設に就職し、6年目にして、日本人男性を射止めて、晴れて運命の結婚式となった。
採用当時を覚えているので、私も感激だし、これからも、両名は、末長く湖山Gで勤めてほしい。
ご両親は心配しただろう。
特に、来日した、娘の家族の方は。
来日した家族のご友人は、日本語の講師で、司会をなさっていたが、正直言って、私の日本語より、弁舌爽やかだった。
イントネーションは、少し関西風な気もしたが。
実は、彼女が、この銀座湖山日記を、スウェーデン語と英語に翻訳して、ホームページに掲載している。
今週は、新婚旅行で、ご家族を日本案内しているはずだから、翻訳判はしばらく遅れるのはいか仕方ない。
ご勘弁頂きたい。
日本のアニメのヒロインのような彼女は、日本の食事の大ファン。
ご家族も、きっと気に入って頂けるに違いない。
私は、スウェーデンに、湖山Gの新人研修で、10回は行っている。
寒い、寒い3月頃に。
その時期が、観光シーズンではなく、ホテル・飛行機代が1番安いからなのだが。
今度は、暖かい頃に行ってみたい。
コロナでも、いや、コロナだからこそ、部下に任せられず、忙しい業務の毎日を過ごしている。
でも、考えてみるに、自分は、自分で人生を決めて来たことはなかった。
親が望んだ院長職の為に、倒産した病院の経営をせざる負えなかった。
その病院が都心の中小病院であったので、地方に新天地をもてめ、バブル崩壊後の地方の街づくりに関与した。
リゾート崩壊後の中山間地に、行政に求められて、やり手のいない老健を始めたのが、湖山Gのスタートだった。
どれも、自分がやりたいと思ったわけではなかった。
時代の要請と、偶然の出会いが、経営の必然となった。
今の幹部との出会いが、今の湖山Gを作ってくれた。
私が道を開拓して来たような気持ちは、持っていない。
激流に流されるようにして、40年間を過ごした。
いや、生き残って来たとの思いが強い。
14000人になったのは、大きな船を作ったからではない。
これだけの漕ぎ手がいなければ、海流に流されて、船は座礁していた。
必要な事、求められた事は、何でも受け入れて、成長して来た。
でも、それは、今になってみると、自分は何も考えていなかった。
自分のやりたい事があったわけでも、その為に努力したわけでもない。
選ぶこともできず、向かってくる津波を乗り越えて来ただけだ。
船を転覆させるわけにはいかなかった。
船から逃げ出すわけにはいかなかった。
愛する人が苦労するのも、泣くのも見たくなかったからだ。
ウエディングドレスを纏った彼女は、単身、憧れの日本に留学に来たのだ。
私は、銀座から日本から離れる事は出来なかった。
それでも、負けるわけには、いかなかった。
強くなければ、生きていけない。優しくなければ、生きていく資格がない。
結局、私立探偵マーロウの世界を気取っていたのだ。
主人公は、幾度も悪人に殴り倒されて意識を失うのだが、何故か意識を取り戻して、死なない。
それは、物語の主人公だから。
そう、湖山の物語は、まだまだ続く。
マーベルコミックみたいに、強いヒーローが、次々登場する。
そう、強がってはいるのだが。
この物語の先は、神様ではなく、厚生労働省の政策が道を決める。
神の御加護を。
パルスオキシメーター 98・98・99
体温36.6 血糖192
神への誓い 代表 湖山 泰成