映画の街、銀座
30代の頃、銀座の若旦那の会の企画広報として、銀座祭りの運営に参加していた。
今も、その銀座の商店街の団体の会員だが、もう、OBである。
30代の頃は、企画広報として、銀座祭りに合わせて映画祭を提案した。
映画の街銀座を演出したかった。
日比谷、有楽町、銀座、築地には、映画館がある。
でも、銀座は、商いの街である。
日本一の商店街だと思っているが。
銀座の商店街は、映画は、映画会社の興業であるとして、関心がなかった。
銀座祭りは、パリ祭をイメージしていたはずだ。
だから、商業の街から、文化の街を目指したかった。
でも、商店街の賛同を得られず、具体的にならなかった。
そのせいか、東京国際映画祭は、渋谷で始められたのである。
当時の銀座祭りは、デパート、資生堂による、夜のパレードがメインイベントで華やかではあった。
でも、百貨店、老舗店、映画館、画廊、喫茶店の多い街は、パリに負けない文化伝統の街でもあるはず。
あまり、知られていないが、企業美術館も、多い。
関係ないかもしれないが、ビルの谷間に、デパートの屋上に、実は、神社が7つある。
文化伝統、そして、商いの街、銀座である。
私は、更に、映画のイメージの街として、世界に銀座を売りたかった。
007の撮影が、銀座ではなく、香港に行ってしまったのは、本当に残念だった。
銀座は、その後は、ニューヨークのイメージを追って来たように思う。
銀座は、ビジネスとブランドの街となった。
それはそれで、素晴らしい街となって不満なわけではない。
渋谷で始まった、東京国際映画祭は、昨年から、日比谷、丸の内、有楽町を含む銀座地区で行われている。
昨年は、湖山Gとして、スポンサーも務め、私は、横断幕を持って、銀座通りのパレードにも参加した。
湖山G銀座統括本部の1階では、映画祭ポスター展示を行った。
でも、1番嬉しかったのは、終了後のボランティア参加者の慰労会を主催した事だ。
すべからく、裏方の努力があって、華やかな祭事は成功するのだ。
そして、今年は、東京国際映画祭も第38回を、日比谷、丸の内、有楽町、銀座地区で迎える。
昨夜は、私も、その映画祭オープンセレモニーに出席した。
ゲストスターや監督が、レッドカーペットを歩く。
そして、舞台挨拶をする。
それらを客席から、拍手でお迎えする。
映画ファンの集いの極みである。
でも、残念ながら、その後の、シャンペンパーティーには、参加しなかったので、ご安心あれ。
でなければ、この日記を認める事は出来なかったはずだ。
パーティーは、もう、終わっただろうか。
血糖182 最近は、我が家の冷蔵庫にもジンジャーエールを冷やしてある。乾杯。
巨匠 湖山 泰成
