地下鉄サリン事件30年前の朝8時

東京営団地下鉄で、銀座駅周辺で事件は起こった。

朝8時頃、通勤で満車の時間だった。

救急指定銀座病院は、その患者で大混乱した。

職員の殆どが、その地下鉄で出勤してくる。

大混乱の状況で、出勤できない職員もいた。

でも、病院の職員で被害に遭う者はいなかった。

病院は、8時前出勤と、8時30分に出勤する体制だったのだ。

わずかな、時間差だった。

被害者には、申し訳ないが、不幸中の幸いだった。

そうでなければ、病院も封鎖していた。

当日、銀座病院と、聖路加病院が、大混乱をした。

院長と私は、車で通勤していたので、その状態は、病院に着くまで気が付かなかった。

その日の記憶は、あまりない。

職員が、無事、病院に到着するか。

その確認だけで、精一杯だったように思う。

医療スタッフも、現地被災者なのだ。

歩くか自転車で通勤できる距離に、寮が必要だと、気がついたのは、その時だったと思う。

私は、39歳だった。

地方に介護施設を作り始めて、東京にいない日も多かった。

それから、30年。

私は、それから、何をしていたのか。

今、今日、生きているだけで感謝だと思うようになったのは、その頃からだったと思う。

生きているだけで幸せ。

その年は、毎週日曜日に、銀座の教会に通った。

キリスト教の洗礼を受けるまでには至らなかったが、その頃の思いが、今でも続いている。

血糖162 災害に備えて、いつも薬を持ち歩かなければならない。

出不精になって来たのは、そのせいもあるかもしれない。

湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長        湖山 泰成

銀座湖山日記

Posted by shimada