我が身の終活

映画には、己の老いと病気を受け入れられず、安楽死をテーマにした作品は多い。
皆、キリスト教国の作品だ。
ストーリーは、単純なので、役者の演技力が全て。
過度な演技は嫌われる。
静かな雰囲気の中に、家族や友人との心のやり取りを感じさせる。
こういう映画は、若い時には、なんとも思わなかったが、昨今の小生には、きつい。
最近の私の頭から離れないのは、己の死をどのようにして迎えるのか。
肉体的な健康の問題と、湖山Gの経営の問題だ。
と言っても、この自宅と銀座との往復の生活パターンは365日変わらないだろう。
もう、見知らぬ地への旅心は無くなった。
引退後は、世界一周の船旅など、しないだろう。
自宅の両親の遺品から離れて、暮らすのは避けたい。
ベットの周りは、パソコンや電話や本で、手放す事ができない。
古い服やネクタイも、捨てる事ができない。
老いへの抵抗だろうか。
現生への執着だろうか。
仕事については、私の後の湖山Gの経営の事である。
財産は、毎年、福祉に寄付してしまっているので、弁護士、会計士を悩ませる事はない。
でも、医療福祉も、経営の難しい時期に差し掛かった。
湖山Gの経営の継続は、どのような体制に委ねるべきか。
突き詰めれば、経営者の人、人、人である。
経営者の資質は、持って生まれたものと、人生での過酷な経験である。
教えられないのが、人生経験だ。
この日記が、後継者の何かの役に立てば良いのだが。
今の所は、小生の思い出と後悔と反省でしかない。
人生はやり直せない。
タイムマシンがあればと、考える。

血糖136 チョコレートを期待する。
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 湖山 泰成

銀座湖山日記

Posted by shimada