Ginza Sony Parkの竣工
小学生の泰成君は、週末は、母の買い物に連れられて、銀座に行く事があった。
三越デパートが多かったと思う。
4丁目の交差点は、銀座のターミナル、顔である。
百貨店は子供にも、楽しい所だった。
屋上で、アイスクリームを食べた事もあったろうし、デパートの食堂は、週末のお出かけのメインイベントだった。
屋上は、熱帯魚や、遊園地にもなっていた。
その百貨店の向かいは、銀座和光。
母は、流石に、そこには入らなかった。
子供心にも、そこは、銀座で1番高級なところで、和服の女性が入って行くイメージがあった。
その建物は、古風なままで、日本橋の高島屋と同様に格式と権威がある。
高島屋も和光も永久に建て替える事は、ないものと思いたい。
中学生の泰成君は、週末は、銀座に映画を観に行く。
銀座での母との待ち合わせ場所は、ソニービルの地下のフランスレストラン・マキシムの喫茶ルーム。
当時、銀座1番のフランスレストランも、日中は、バールームは喫茶店として営業していいた。
土曜日の午後は、そこで買い物帰りの母と待ち合わせをして、アフタヌーンティーを楽しんだ。
薄暗いレストラン・マキシムは、銀座の夜のイメージそのもの。
また、地下の駐車場からの直接の入り口があり、外国からの来賓をもてなす銀座のレストランとしても有名だった。
当時のソニービルの上の階には、高級イタリアレストランもあった。
銀座の西洋ブランドを代表するビルだったと思う。
その銀座のモニュメントが、建て替えられた。
昨日が竣工式。
今日、行ってみようと思う。
コンクリート打ちっぱなしの外観は、工事中から心配だった。
銀座のど真ん中に建てられる、コンクリートの塊のピラミットみたいな構造物が、銀座に合うだろうか。
銀座も、コロナ以来、人出は減っている。
ビジネスマンも、飲食店も減っている。
大型ビルのテナントは、変わりが早く、空いているフロアもある。
今までの銀座にはなかったことだ。
超現代的な、美術館のようなビルは、商業ビルではなくなった。
銀座ソニーパークと言う名称にも、明らかだ。
銀座も、ニューヨークやパリの現代美術館のある雰囲気になるのかもしれない。
これが、これからの銀座の未来をイメージして行くのか。
商業から、美術、展示、ショールームの街並みになるのだろうか。
銀座メディカルビルも、湖山Gの本部であり、ショールームになって行く。
進歩より、失われて行くものに気が向くのも、年寄りの傾向なのだと思う。
血糖184 お茶の飲み過ぎで、胸焼けがする。
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅副会長 湖山泰成