消えゆく建築
私は、建物を見るのが好きだ。
しかも、都会の戦後の歴史を語る由緒ある建物。
都心の銀行本館、銀座の電通の最初の事務所。
日本橋の高島屋百貨店、銀座の和光。
そうは言っても、永久には使えない。
天文学的な値段の土地を、遺跡のように、使わずに保存する事は出来ない。
企業には、負担が重すぎる。
と言って、国が買い取って、文化財保護にする事もなり。
東京都は、出来るかもしれないが。
都心は、容積緩和措置もあり、高層に建て替えないと、建築費が出ない。
こうして、都心のビルは建て替える時に、大型高層化する。
銀座の統括本部ビルも、現在9階だが、建て替えると14階になる。
湾岸の高層ビル、高層マンションはこうして、建てられて来た。
私は、六本木ヒルズに住んでいた時は、14階にいた。
消防車の梯子は、14階までしか届かないと聞いたからだ。
東日本大震災の時、私は、永田町のビルの13階にいた。
エレベーターは動かないから、階段を降りたのだが、降りるだけでも大変だった記憶がある。
さて、このような、由緒ある建物も、最後は、経済的理由で、取り壊される。
やむを得ないと思う。
フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル旧館の玄関だけは、明治村に移築された。
例外的だ。
銀座の外れには、黒川紀章設計の中銀カプセルタワーがあって、外国からの見学者もいたが、結果的には、解体された。
設備が、ボロボロで、もう、使えなくなっていた。
最新鋭な設備は、メンテナンスが放棄されていた。
建物も生き物なのだ。
地震災害の危険もある。
さて、医療は、機能性の建物。
古い病院になど、価値はないと言われても当然だと思う。
介護施設は、住居であり、30年の介護保険の制度の歴史でもある。
本物は、維持する価値はないが、設計図や写真だけでも、残しておくべきだと思っている。
厚労省の政策変更の歴史でもあり、日本の高齢者の暮らしの変遷の歴史でもある。
建築設備学会は、未来の医療介護の建物を考える為に誕生させた。
未来を考えるためにも、過去を忘れてはならないと言う、歴史の教えを思い出した。
私の思考は、未来だけを考えているわけではない。
足元をしっかり見ながら、未来を見ている。
挫折と失敗の過去の記憶から追われるように、未来に向けて走り続ける。
経営者の性(さが)でもある。
安寧なる今は、永久に来ない。
このような気分は、未来への郷愁と呼んでいる。
能登地震243日 台風10号北上中 血糖146
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅理事
建物も組織も解体 湖山泰成