集えし者よ

銀座はホテルラッシュで、ビジネスホテルが多数ある。
それも、昨今のインバウンド客の影響で、高級化が著しい。
湖山Gの出張幹部は、あまりにも宿泊費が高額で、今や銀座には泊まれないと、寂しく、思っている。
銀座と、京都のホテルブームはきっと、長く続くのだろう。
昔から、昭和通り沿いには、大きなホテルが2軒あった。
その内の1軒は、私の所属するロータリーの会場となっている。
銀座で2番目に出来たロータリーで、私は、30歳位で入会した。
本当は、院長だった父に誘いが来たのだが、救急病院の院長で、毎週1回の出席の義務は約束できないと、断ったのだ。
それで、代わりにと、愚息の私に、会員の席が回って来たのだ。
勿論、当時は最年少だった。
今となっては、年長組の先輩となってしまった。
30年以上、毎週、そのホテルで、ロータリーの昼食会に参加して来た。
そこの地下の日本料理店は、父のお気に入りで、来客との会食によく使った。
昨夜は、そんな銀座らしい、馴染みのホテルで、祝宴を開催した。
湖山G開設40周年を締めるに相応しい行事ともなった。
亡くなった聖道理事長の誕生日に合わせてて、毎年行われているグループ幹部の夏の慰労会である。
父が、富士山麓の湖山病院に入院していた頃は、病院の最上階の講堂と屋上でのビヤパーティーだった。
富士山を背景に、眼下には、駿河湾。
静岡の栄養科の手作りのメニューは、どれも美味しかった。
それも、父が亡くなり、コロナもあって、今は毎年銀座のホテルで開催している。
父の生前を知っている、古参の幹部ばかりが銀座に参集した。
100名は超えている。
両親の古い写真が会場に流されると、わかっていても泣けてくる。
幹部の挨拶も、優しかった父の思い出ばかり。
前ばかり見て、走り続けた人生だった。
でも、この日だけは、立ち止まって、人生の軌跡を振り返って感慨に浸る。
それも、人生の苦楽を共にしてきた家族親戚のような人生の仲間と共に。
優しかった父を偲ぶ話ばかり。
私は、何時も会議で怒っていたばかりのように聞こえる。
実際、そうだったのだ。
倒産しそうな時も、本当に苦しい時もあり、必死だった。
私も若かった。
経営に関心のなかった院長の父の存在は、経営専門の私には有り難かったと思う。
絵に描いたような、父子鷹だった。
湖山の旗の下に、集えし者よ。
次の山も、嵐も、乗り越えるぞ。
失われし者も、人の記憶にある限り、生き続けている。
私達と共に生きている。
私も、最期迄、湖山の仲間と共にありたい。
やがては、記憶となろうとも。

能登地震236日 血糖142
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅理事
次の1日が始まる 湖山 泰成

銀座湖山日記

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