日本映画を支えるもの

オリンピックの閉会式。
トムクルーズが会場の屋根から、会場に飛び降りて来て、そのまま、旗を持って、オートバイでパリの街を走り、飛行機に乗り込みロサンゼルスにパラシュートで飛び降りる。
まさに、映画ミッションイン・ポッシブルの予告編そのものである。
このような事が日本で可能だろうか。
残念だが、あり得ない。
どの場面の撮影も、東京では無理だろう。
予算もあるが、少なくとも、銀座では撮影許可が降りない。
日本での撮影では、田舎の海岸をのんびりドライブするシーンくらいしか撮影できない。
これが、現状だ。
日本では、世を上げて、映画制作を厳しく規制しているとしか思えない。
日本に、映画撮影に魅力的な街や風景があり、実際に撮影が可能なら、国際映画資本がお金を出すだろう。
スターも監督も来るだろう。
映画制作に、国内資本、国内スタッフばかりに頼る必要はない。
日本で映画産業が衰えてしまったのには、多くの理由があるが、撮影規制が厳しいからだ。
最近、銀座の街並みをスクリーンで見た記憶がない。
テレビにおいても。
CMですら。スタジオ撮影ばかりだと思う。
映画は総合芸術。
そして、インターナショナルな産業だ。
ドメスティックな制作、産業ではないはずだ。
日本語の問題は、AIで、解決できるかもしれない。
字幕どころか、吹き替えも、コンピューターで簡単にできるはずだ。
大衆芸術、大衆芸能で良いではないか。
補助金に頼る発想は、採算が合わないと言う諦めを前提としている。
国の補助金をもらうと、作品内容が制限される。
映画を育てるのは、国でも、監督でも、役者でもないと思っている。
新しい映画を求めて、自腹を切る映画ファン自身なのだ。
その映画ファンが少子高齢化そのままに、衰えている。
その映画ファンを育てる、保育器、学校が、映画館だと思う。
やがて、絶滅しそうな映画館を支える事も、絶対必要の事だと思う。
私は、滅びつつある劇場だからこそ、愛しみ、あしげく通うのかもしれない。
と言って、滅びて良いわけはない。
街は舞台。
劇場は我が家。
銀座の我が家が、滅びて良いものか。
世の映画ファンよ、東京国際映画祭を、集いの場としよう。

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湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅理事
映画ファン代表 湖山泰成

銀座湖山日記

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