人間を人間たらしめる物
AIが進歩を続けて人間を超える日が来る事を、シンギュラリティと呼ぶ。
何かの到達点の事らしい。
人間の終わりなのか。
AIが人間にとって変わるのか、人間と統合して、両者とも新たな進化となるのか。
それは、もう、人間とは呼ばないのではないか。
人間を人間たらしめている物は何か。
死への恐怖。
我が身を犠牲にして、子供を助ける生き物の本能。
他の集団を殺戮してでも、自己の集団を生存させる社会行動。
私は、最後までAIが持てないのは、羞恥心ではないかと思う。
確か、昔、日本の有名なSF作家が言ったことだと思う。
人間は、食べる事は、人前で、楽しく行うのに、同様の生物学的作用の排泄については、極端に人目を避ける。
楽しい会食パーティーの小説があるのだから、楽しい排泄パーティーの小説があっても良いと。
そんな物を読みたくないが、そのSF作家ならば、書いてもおかしくなかった。
ソドムの狂宴だ。
入院して、ベットで寝たまま排泄を命じられても、それは勘弁して欲しい。
看護師が、手伝ってくれるのは、もっと恥ずかしい。
1人、こっそり、点滴を持って、壁に手をやりながらトイレにこっそり行った事は誰におあるのではないか。
森の中でも、人目どころか、リスや鳥に見られているのも、落ち着かない。
これは、自分の匂いを残して天敵に見つかる事を避ける生き物の生存本能なのだろう。
武士は、トイレでも、風呂でも刀を離さなかったのではないか。
それほど、排泄行為は、人間にとって大事。
一日6回はする。
食事は、1日くらい我慢はできるが、排泄は我慢ができない。
災害においても、水や食料よりも、排泄をできる場所の確保が問題になる。
野山に囲まれた所ならまだしも、コンクリートのビル、マンション街では、停電断水になったら、お手上げだ。
広域災害支援の第一歩は、簡易トイレ。
湖山Gも、都心の施設には、簡易トイレを配備する。
勿論、自宅にも用意しておきたい。
防災減災セミナーの、被災地トイレの講演を聞きながら、考えた。
でも、私に羞恥心はどの程度あるのか。
若い時よりは、無くなっているような気がする。
能登地震219日 血糖151
湖山G代表 サンダーバード代表 健康の駅理事
人間は所詮一本の管 湖山 泰成
湖山 泰成