眼鏡が作る顔

泰成君は、何時から眼鏡をかけるようになったのだろう。
小学校4年くらいには、もう近眼だったはずだ。
寝床に入っても、こっそり、読書灯を布団の中に引き摺り込んで、親に見つかるまで本を読んでいた。
年々、近眼の度が進むのを楽しんでいたような気がする。
目の悪い作家が、幻想的な詩や小説を書くと聞いた事がある。
その頃のテレビドラマで、セルロイドの分厚い眼鏡を掛けた登場人物は、頭の良い科学者タイプと決まっていた。
人形劇サンダーバードの科学者ブレインのように。
父の顔も、眼鏡顔の記憶しかない。
父は、よく眼鏡を外して目を擦っていた。
眼精疲労だ。
カルテには、小さな文字で書き込む。
医師手帳には、極小の文字で書き込んでいた。
泰成君は、中学生くらいから、金属フレームの軽い、枠のない印象の薄い眼鏡をしていた。
子供の頃からの写真を見ても、眼鏡をしていない。
撮影の時は、わざと眼鏡を外していたのではないか。
やがて、車を運転する頃には、眼鏡をしていたはずだ。
車のダッシュボードには、予備の眼鏡を入れておいたはずなので。
私は、成人になってから、一体幾つの眼鏡を作ったのだろう。
良く、深夜のタクシーで無くしたのだ。
と、言うより、自分のお尻で壊してしまうのだ。
やがて、乱視にもなり、とうとう、老眼で遠近両用レンズとなった。
髪の毛もグレーになり、オールバックの顔は、父そっくりになって来た。
朝、鏡を見ると、びっくりする事がある。
父が語りかけてくるような気がするのだ。
この家には、まだ、両親が住んでいる。
そう、思う、そう感じる時がある。
最近、銀座の老舗の眼鏡店で、眼鏡を新調した。
生まれて、初めて、べっ甲の眼鏡を。
鏡に映る顔は、もはや父ではなかった。
泰成君が小学校の時に見た、祖父の顔だった。
もう、そう言う歳になったのだな。
ご隠居に相応しい顔になったのだな。
自分の歳を、眼鏡に教えてもらう事になった。
この眼鏡は、実は、最初は恥ずかしかったのだが、周辺からは、意外に好評なので、使う事とした。
ハットと杖は、これから選ぶ事としよう。
チョッキと、懐中時計は、既に用意してある。
似合うと良いのだが。

能登地震146日

血糖129 昨夜の夕食は、きゅうりワカメ酢と牛乳だけで、爆睡してしまった。
湖山G代表 サンダーバード代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

Posted by kobayashi