安寧な日々
コロナ前迄の連休は、都内の美術館と映画館に浸りきっていた。
今年は、殆ど、自宅蟄居で、独居房の生活をしている。
3食とも、妹が作ってくれる、鶏肉と豆腐と根野菜のスープを中心に、ステーキを焼く。
ご飯も炊いてみたし、蕎麦もラーメンも茹でた。
うどんは、冷凍を電子レンジで解凍する。
これが、1番お美味しい。
つまり、自宅ソロキャンプの練習である。
首都圏大震災の時、自宅にいたら、1人で何日持つかの訓練である。
備蓄の缶詰や、ミネラルウォーターも数えてみるが、2週間くらいは、頑張りたい。
靴下、下着や、ポロシャツは、ゴルフをした頃のものも、全部残っている。
運動靴もある。
薬や石鹸なども、気になった。
消毒用の、アルコール、蒸留酒は、全く無いのだが、気分を高める香水は、沢山ある。
冷凍庫に冷凍食品をストックも考えた。
停電になるが、それで、自然解凍する食品から食べていけば日数を稼げるのでは。
今後は、冷凍備蓄も揃えたい。
自宅の近くには、JICAのホテルや、消防訓練センターがあるので、頼りにしても良いのでは無いかと思っている。
テレビや、ネットニュースや、ユーチューバーのコンテンツを検索した。
国政選挙の結果や、能登震災の報道である。
と言っても、ベットで、声を聞いていただけだが。
目が疲れるので、ベットで、子守唄のように、聞いていたのだ。
寂しさで、人の声が欲しいのだと思う。
何時も、大勢の人で、喧々諤々が好きなのだ。
私の論を、聞かされる方の気持ちは、わからないが。
自宅の此処彼処で、亡くなった両親の姿が浮かぶ。
幽霊屋敷か。
亡霊との暮らしも、懐かしくも温かい。
これが、私の安寧な日々となるのだろうか。
医療福祉のダブル崩壊。
首都圏大震災。
怯えながらも、明日の一手を考える。
40年間、常に新しい施設を作ってきた。
未来へ夢を託して来たわけではない。
今の病院施設の、寿命が終わるのを遅れたのだ。
未来を切り開くと言うよりも、何時も、後方からの時代の変化の津波に、飲み込まれるのを恐れて来た。
40年前の不動産バブルで、多数の会社の倒産を間近に見てきた恐怖が消えないのだ。
企業の有料老人ホームも全て、運営会社が変わった。
不動産は残っても、運営会社は、倒産した。
それで、私は、社会福祉法人、医療法人財団の経営にシフトした。
経営者の私が生き残る為ではない。
職員のポストを守りたかったからだ。
でも、肉体的にこの歳になると、個人として怖いものは無くなった。
矢でも鉄砲でも持って来い、の心境だ。
大震災に生き残れる、キャンパス湖山カレッジの構想をしている。
サンダーバードの防災基地になる。
農福連携のケアファーム、銀座ミツバチの拠点となる。
私の発想は、何時も街づくりから。
街人は、湖山Gの家族だ。
血糖132
能登地震から、121日
湖山G代表 サンダーバード代表 湖山 泰成