能登地震報告
能登地震から、70年経った。
震災支援に既に一度行った看護師が、再度、現地状況調査に行って来た。
現地は、落ち着いているようだが、介護施設への長期支援について、課題も見えて来た。
私が、中越地震の後、サンダーバードの設立を提案したのは、医療施設の支援に比べて、介護施設の支援が足らないと思ったからだ。
特に、社会福祉法人は、地域行政の下にあるので、広域で動けない。
その余力も、思想もなかったと言って良い。
医師会や病院会や、大手医療法人の連携、行動は、あっても、福祉法人、介護施設の連携は見えなかった。
老人ホーム経営の株式会社は、支援を考えてもいなかっただろう。
それで、病院会に準じて、特養ホーム中心の災害ネットワークを提案したのだ。
最初の開設資金200万円も、私が寄付をして、サンダーバードと言うニックネームも私が提案した。
中越地震から20年経って、広域大震災後の現地状況は変わった。
まず、介護施設では、間違いなくコロナ感染が蔓延する。
介護施設は、普段は、地域の協力医療機関や、訪問看護の恩恵を受けている。
それが、継続できなくなった上に、施設定数以上に、被災者老人を受け入れなければならない状況になっている。
そこに、不十分な支援を継続すると、その状態で頑張らなくてはならないと、施設は頑張ってしまう。
客観的に見れば、介護施設の入居者は、なるべく早く、医療介護の双方が保証されている安全地区の病院、介護施設に移動すべきだ。
壊れた介護施設の建物の復旧は、半年以上、1年以上かかる。
施設利用者は、元気な若者ではない。
元々、施設に入居せざる負えない老人なのだ。
とにかく、早急に一度は、遠方でも、安全地域の病院や老健、特養に移動すべきだ。
サンダーバードの支援も、まずは、現地に飛んで行って、施設を支えるのが支援の目的として私は、設立を提案した。
でも、介護保険の施設は、地域に医療が保証されている事を前提にして存在している。
せめて、被災地では、医師の指示書、処方箋がなくとも、看護や薬の提供が継続できる特例免除地域として欲しい。
それで、被災地に、対コロナ対策特別車両カートでオンライン診療をすべく、検討をしている。
湖山Gは、医療施設、介護施設の両方を運営している。
被災地こそ、医療介護の一体提供が必要だ。
介護だけでは、自立できない実態を悟った。
少子高齢化の進む日本。
震災復興には、より進歩した複合型支援体制が必要だ。
病院会で、医療法人、社会福祉法人の両方を運営する理事長と、医療介護一体の支援組織を検討したい。
片手だけでは、人を救えない。
医療介護の両手が必要とされている。
湖山Gは、その両手が揃っている。
責任を果たしたい。
昨夜は、小学校の同期会だった。
70名が集まった。
白髪の歳相応のお祖父さん、お婆さんの集まりになると思ったのだが、元気で明るい同級生の笑顔を見る事が出来た。
2名の国会議員からは、地元で国会報告の為に欠席するとの手紙が届いていた。
議員には、至急、首都圏大地震の前に必要な政策、法案を作って欲しいと願っている。
このままでは、東京は救われない。
私は、個人的には諦めの心境だが、医療福祉経営者として最期まで頑張る。
その義務は果たす。
私のような老人は達観しているが、若い職員を犠牲にしてはならない。
その事が、最優先事項だ。
老兵部隊でも出来る、災害生き残り作戦も練る必要がある。
全国から、東京に支援に来てもらう以上に、東京脱出ルートを作らなくてはならない。
ボートで東京湾に出るか。
ビルの上から気球を飛ばすか。
ヘリコプターの降りられる場所を確保するか。
長期職場に、こもる事を想定して、災害備蓄品を増やすか。
銀座統括本部の屋上では、芋栽培だけではなく、養蜂も再開する。
焼酎だけではなく、クラフトジンも作る。
勿論、消毒用である。
銀座から、災害放送も出るように、銀座統括本部のある銀座メディカルビルにラジオ放送局のスタジオも開設する。
でも、私個人としては、足腰を鍛え、健康を維持するのが、最優先だ。
若者に迷惑をかけないようにするには。
血糖157 まだまだ運動が足らない
シニアソルジャー 湖山G代表 湖山泰成