社会貢献は、社員貢献から始まる
![](https://diary.tsunagaru-koyama.com/wp-content/uploads/2023/11/26902411_s.jpg)
最近、どの大企業も、ベンチャー企業も、社会貢献を高らかに歌う。
どう見ても、金儲けで始めたビジネスを、建前だけで宣伝しているように思える。
その方が、出資金が集まるのか。
職員を採用しやすいのか。
ネットでブラック企業と批判されない為か。
世界を良くする為にとか、SDGsとか、主張する人が多い。
私には、どうも、胡散臭く見えてしまう。
建前や、綺麗事の主張で、邪な人を沢山見てきた。
建前はどの世界でも必要だ。
でも、あまりにも、言葉先行の軽薄な感じを不快に思うのは、私だけだろうか。
政治、マスコミ、インターネットの主張。
どれも、素直に信じられなくなって来た。
欲しいのは、国民の建前的正義理屈ではない。
声を発する人の、本音と、本人の生き方だ。
何を言っているかも大事だが、最近は、誰が言っているかも気になっている。
自己弁護、他人攻撃、ポジショントーク。
世論に自分の主張を、おもねってはいけない。
最近、政治家の言論にも、起業家の言動にも、信念を感じなくなった。
社会貢献も、美辞麗句か、流行か。
医療福祉保育は、元々社会保障、社会貢献事業だ。
今更、私は、社会貢献などとは、恥ずかしくて言えない。
最近、永年勤続表彰式に出席する。
古参の職員の懐かしい顔を見るたびに、反省する。
私は、外を見るより、湖山Gの中をもっと見るべきだ。
社会よりも、現場の施設の職員の苦労を知るべきだ。
そして、その職員の人生をも。
その家族をも。
私の、人生も、湖山の職員の温かい思いやりで支えられている。
私が、1番のお客様になっているのだ。
職員のお客様は、患者、利用者だ。
私のお客様は、長年共に戦ってきた職場の同僚だ。
湖山で働く、14000人の職員と、その家族だ。
職員ファーストと言うからには、もっと、職員と身近にあらねばならぬと思う。
共に苦労を分かち合う、共感が、コミュニケーションの第一歩。
アフターコロナには、全国の湖山Gの施設を周りたい。
湖山とは、施設建物ではない。
そこで、人生を送っている、湖山の人の事だ。
食事を共にするだけでも、職員と長い人生の苦楽を共にしてきた感慨と感謝がある。
残された人生の、父から託された経営者としての負託は、少しでも職員と共にある事だ。
共に山を登り、海を渡る。
私の社会貢献は、外ではなく、湖山の中にある。
日本の空のどこにでも、湖山はある。
湖山の町のどこにでも、故郷はある。
私は、仲間と共に生き、孤独ではない。
寂しくもない。
私にも、甘えさせて欲しい。
職員は家族だと。
パルスオキシメーター 94・97・97
体温36.4 血糖186
宍道湖の辺りにて 代表 湖山 泰成