銀座再見は銀座細見

28歳で、銀座の救急病院の再建を成し遂げてきて以来、むしろ全国のリゾートの再建に飛び回った。
リゾート開発の後の公園、スキー場、ゴルフ場、ホテル、旅館、職員寮、高校の分校、工場、ありとあらゆる開発の後の廃墟とは言わないが、人気のない場所だった。
リゾートは過疎地の開発と言われたが、それは、突き詰めれば、土地の開発ではなく、雇用の創出だと気がついた。
招いてくれた町長に提案した。
来たるべき高齢社会に向けて、地元に介護施設、介護保険サービスを創業しましょう、と。
地元の町長が法人名を名付け、施設名は、職員が名付け、資金は私が拠出して、法人を設立した。
地元のお年寄りをお世話する施設を開設する。
地元の若者が働き、地元に税金を落とす。
地域の地方創生を、介護保険事業で、成し遂げようとしたのである。
そして、今、40年が経った。
長い私の航海は終わったわけではない。
次の新たな航海が始まる。
厚労省の、政策は、追い風から、施設を減らそうとする嵐の向かい風に変わった。
その嵐の海に立ち向かう。
無事に、海の向こうの大陸に辿り着かねば、多くの船員を失う。
船の作戦室から、船橋に立って、航路の陣頭指揮にあたる。
杖を持ってである。
帽子は似合わないので、胸にプロペラを形どったピンバッチをつけた。
銀座の後輩から授かったものである。
今は、故郷銀座に戻っている。
泰成丸は、渚の銀座港のドックに入港した。
装備を一新し、機能を高めた新造船となる。
その間、銀座の街並みを、改めて散策してみよう。
故郷銀座再見は、通りをきめ細かく見て歩く事だ。
銀ブラかな。
私の、人生の銀座再見は、懐かしい、知り合いのお店で食事をする事にした。
道案内は、銀座の後輩たちである。
老人の手を導いてくれるのも、銀座の担い手である。
新たな全国周遊の旅は、銀座から始まる。
その間、銀座の本部ビルは、建て替える予定だ。
新たな旅が始まる。
新たなエピソードが生まれる。
新たな地において。
新たな仲間と。
故郷銀座は、心に置いて。

パルスオキシメーター 95・97・97
体温36.2 血糖189

乗船を許可する 代表 湖山泰成

銀座湖山日記

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