街を継ぐべき者

どこの街にも、商店街はあり、そこには、青年部がある。
商店街には、お祭り、セール、イベントがある。
銀座も商店街。
銀座には、通り毎に、町内会がある。
日本最大の商店街だ。
日本に、銀座通りと名付けられた通りは、40位あった。
40年前に数えたことがある。
今は、もう、減っていると思うが、その時は、銀座サミットをしてみようかと思った。
そして、日本列島を東西に分けて、銀座通り、東西対抗の1000メーターの綱引きをやりたかった。
銀座通りは、1丁目から、8丁目まで、1200メーターある。
大晦日の深夜。新年を迎える瞬間。
晴海通りで、東西に分かれた日本中の銀座チームが、ツナを引き合う。
沖縄での大綱引きを、銀座に持ってくるようなものだと想像して欲しい。
4丁目と5丁目の間の晴海通りには、祇園祭で使われた、花車が置かれている。
その花車が、4丁目か、5丁目に引き込まれた時、勝負が決まる。
その勝負がその年の、運を決める。
商店街の紅白綱引き。
紅白歌合戦から、ゆく年くる年で、全国放映。
天空のヘリコプターから、テレビ中継。
私も、その商店街青年部、つまり銀座の若旦那の会の会員である。
68歳の自分は、今や後期青年部。
28歳で、入会した時は、銀座の先輩に大変お世話になった。
つまり、お祭りで、銀座の街のあり方や、メンバーの商店を教わった。
つまり、老舗の大旦那の人柄をである。
世代が変わり、今は、その店は次世代に継がれている。
久しぶりに、その40代の後継者達と食事をして、私の銀座の人生を語った。
事業の継承は、街ごと。
銀座のご隠居は、次世代に、この街の文化を語り継ぐのが、最後の仕事。
経営も、語り継ぐ事ができるだろうか。
今年から、全国の湖山Gの永年勤続者は銀座に来てもらう。
銀座医院で人間ドックを受診して、歌舞伎座を鑑賞してもらうのだ。
そして、私と老舗のレストランで、会食する。
継ぐべきものは、私を作った、街の文化そのもの。
昔は、銀座文化人と言われた人がいた。
私は、街そのものが文化だと思う。
私は伝え残していくのが、この街で生きて来た者の、定めと心した。
昨日は、5人の若旦那とお寿司屋で、街語りの会を始めた。
うち、2人は、女性。
娘さんが、後継者、継承者の店主、社長なのだ。
古い街は、新しい街。
自分も老いたものだ。
でも、その老いも悪いものではない。
素晴らしい、若者に囲まれているのならば。
私はまだ、ステッキと帽子は似合わないのだが。

パルスオキシメーター 97・98・98
体温36.2 血糖179

街角の街灯 代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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