日本工芸と現代美術
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私は、コロナ迄は、東京の主だった美術館を毎月、殆ど廻っていた。
周っていた、と言うのは、その日一日かけてその地区の美術館を観て回る。
上野だけで、6つの美術館、博物館がある。
早足でも、休む時間もない。
美術館トライアスロンである。
まずは、何をやっているか現地調査。
六本木、銀座、渋谷、新宿、京橋、汐留と都心なので、半日で行く所もある。
美術館散歩、ワンダーフォーゲル、ハイキング。
展示開催初日に招待される事もあるが、その日は、招待者の頭越しに、行ったり来たり。
気に入った展示は、何度でも、観に行く。
30分でもあれば、入場する。
映画鑑賞と同じ。
きっと、映画館と同じ、美術館と言う環境が好きなのだろう。
でも、レストランは殆ど使わない。
女性客で占められていて、騒がしく、私の行く所ではない。
お勧めは、美術館の中の図書館。
そこには、高価な美術の希少な本が揃っている。
一日中いても、飽きない。
でも、コロナでぱったり、行かなくなってしまった。
入場予約が嫌いなのである。
その時の気分で、飛び込む。
ハシゴもする。
飲み屋ではないが。
心が欲している時に、求めているときに行く。
自宅や、職場の身近に置いてあるアートとは違う。
遠くに旅する気分なのだと思う。
芸術を求める心の旅。
異国への放浪の旅。
己とは違う価値観、普段とは違う世界、異境へのフライト。
現代美術が好きだったのだが、最近は、陶芸や漆器などの日本工芸に関心を強く持つようになった。
美術館に飾るよりも、普段の生活の中で生きた形で残せないか。
保存ではなく、未来への進化として。
子供の時から、普段使いをしないと、関心も、審美眼も育たないのではないか。
また、産業としても生き残らないと、製造が維持されない。
天才作家1人では、生まれ得ない。
多数の利用者と、製造業者がいないと維持できない。
工芸は、産業でもあり、国民生活文化そのものである。
金持ち老人の趣味ではない。
懐古趣味でもない。
現代美術の創生は、長い伝統工芸の歴史文化の基礎の上に花咲く。
そう、考えるようになった。
工芸技術があって、世界に通用する新しい美が生まれる。
でも、朝の歯磨きのうがいのコップは、銀行記念品のプラスチック。
普段使いの食器、コップも頑丈な物ばかりだ。
朝食は、キッチンで、立ったまま、テレビニュースを見ながら食べる。
テーブルに座って、ゆっくりと食する生活習慣を取り戻すのが先。
私自身の生活を見直す事が、優先なのは、間違いない。
パルスオキシメーター 96・98・97
体温36.3 血糖196
館長 代表 湖山泰成
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