人間倫理学
湖山G40周年記念誌を構想中で、雑誌社の古い友人に相談中。
この日記を中心に編集してもらおうと思ったが、担当者は、私に対するインタビューの末に、湖山G創世記の頃の、話が面白いと指摘してくれた。
28歳で、倒産した中小病院のオーナーとして、父を院長に雇い、債権した時代。
債権の後、全国地方に老健を作った経緯。
その失敗と、苦労と、それを乗り越えて行った仲間となった職員の話。
ワンピースみたいなドラマだ。
確かに、ドラマの連続だった。
今回は、その頃からの幹部の職員のインタビューで話を構成してほしいと頼んだ。
自ら語るには、辛すぎる思いでもある。
心の底に封印した、記憶もある。
来春迄かかるだろうが、今期中に形にしたい。
編集者が関心を持ったのは、大学院での修士論文である。
是非、読みたいと希望された。
関心があると言う。
もう、30年も前で、社会人学生で、湖山Gを立ち上げてからの頃の事だ。
その頃は、経営者として、人生に迷い、教会に毎週通っていた頃だ。
キリスト教のホスピスに関心があり、医療には、宗教観が必要ではないかと考えていた。
実は、私自身の心の支えが欲しかったのだ。
宗教の本を多数読んだのも、あの頃だ。
宗教を歴史、哲学として本で勉強しても、自分自身は宗教人にはなれなかった。
当時、財界人の哲学を学ぶ研究所で、その手のセミナーに通った。
大企業は、重役になる人に、哲学、倫理学の泊まり込みのセミナーに参加させたいたのだ。
あまり知られていないけど。
東大の名誉教授が講師だった。
名だたる大企業の役員が理事で、その会社のやがては社長になるであろう社員が参加していた。
本人の希望ではなく、社長命令であったと思う。
今は、そのような役員教育の余裕はないかもしれない。
そのセミナーに参加して、真面目に勉強しようと考え、その講師の先生の大学院の教室に出席していた。
その名誉教授は、バチカンの教皇に、唯一講義をした日本人と聞いた。
高校の倫理学の教科書では、その先生のエッセイが取り上げていた事も思い出した。
とにかく、偉い先生で、ゼミでは末席で拝聴するだけだったが、倫理学と言う本物の学問の形骸に触れた思いだった。
何年か経ち、その先生も、本当に引退の時となり、そうしたら、せっかくだから卒論を出しなさいと言われた。
無理だとお断りをしたのだが、私が最後の生徒だから、とにかく出しなさい、どんなものでも読んであげるからと。
結局、自分の講演録や、会議資料などを、まとめて、電話帳みたいな論文らしきものを提出した。
題名は、医療福祉の経営哲学。
教授は困った。
同僚の、経営の教授に相談したら、経営学としては、文句なしに承認すると言われた。
でも、哲学としては、どうして良いか頭を抱えていると。
最後は、お情けで修士をくださった。
私には、もったいないような立派な恩師だった。
自分は、哲学の学者ではなく、哲学者になりたいと、いつもおっしゃっていた。
医療福祉には、理念も哲学も倫理も必要である。
医療こそ、エコエティカを研究して欲しいと。
金儲けの出来ない経営者の言い訳と思われても仕方がないが。
職員の不正は絶対許せない、正義の経営者になりたいと願い、日々経営を司っている。
そこだけは、譲れない、職員の信頼を得たい。
その論文は、本棚を探したが、幸いな事に見つからない。
あまりにも恥ずかしくて、何かの折りに捨ててしまったとは思わないのだが。
このまま、永久に見つからないで欲しい。
恩師の名誉の為に。
パルスオキシメーター 92・93・97
体温36.5 血糖223
思索で血糖は下がらず 代表 湖山 泰成