泰成君の時代

昨夜は、小学校の同級生のお通夜だった。
1番早く会場に駆けつけ、1番先に会場を出た。
同窓生の会うのが怖かった、辛かった。
彼は、有名な焼き鳥・釜飯のチェーンのオーナーだった。
銀座の若旦那、2代目。
本店では、彼よりも夫人に会う事が多かった。
昔は、お店は、奥さんに任せ、主人は、友達と遊びに出ているという、絵に描いたような銀座の旦那衆がいないわけではなかった。
やがて、お店の土地を、世界的なブランド店に売り、その後は悠々自適で銀座で姿を見ることも無くなった。
好きな野球をしているのだろうと思っていた。
いつも、火のついたタバコを手にしていた。
私より早く逝った奴は、皆、ヘビースモーカーだ。
父は、私に、タバコを吸わない事だけは、健康的だが、と、いつも言っていた。
その彼に、私も、焼き鳥・釜飯屋の一店でも、持ってみたいと相談した事があった。
その時は、真剣に怒られた。
お前は、食べ物屋を馬鹿にしている。
そんな素人は、やる資格はない。
私には、その頃の彼は、必殺遊び人のように見えたのだが、経営者としての顔と、職人のとしての誇りを見せていた。
だから、すごく印象に残っている。
彼のセリフで、お金が欲しかったら、店を多くするな、儲かる店を自分だけで運勢しろ。
5店迄だ。
それ以上は、キャッシャーを入れたり、税務署がうるさくなったり、税金と手間がかかるだけだ。
なるほど、個人としての収入は税金が増えるだけだ。
実際は、職人の管理の大変さの事だったのだろう。
彼の優れたところは、直営でも、フランチャイジーにしなかった。
50に近い店舗は、弟子に独立させた。
昔で言う、暖簾分けだ。
その代わり、肉の仕入れの協同組合を立ち上げ、組合を本部のようにしていた。
湖山Gの全体組織のありようは、その影響を受けている。
湖山Gの仕入れは、肉ではなく、職員、人間である。
採用と教育研修センターのNPOが、それにあたる。
いつも、床屋に行ったばかりのような、ポマードかドライヤーでキッチリ決めた髪型も職人風だった。
私が、相談に行った時は、開店前で、彼は白い職人姿で、鳥を串に刺していた。
毎日、何百本の串を刺していたのだろう。
その時の彼の姿が目に浮かぶ。
彼の誘いで、銀座の若旦那の会に入れてもらったのだ。
彼と10年以上、もう会っていなかった。
私も、もう銀座のご隠居が似合う歳になってしまった。
彼の思い出の姿は、若い時のままだ。
さようなら、また再会する時迄。

パルスオキシメーター 98・98・98
体温36.7 血糖265

泰成君の時代 代表 湖山 泰成

銀座湖山日記

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