アトランダムなモザイク
休むように、休むようにと、周りに気を使ってもらっている。
秘書が、スケジュールを調整してくれているのだが、いつの間にか手一杯になってしまう。
私が悪いのだ。
情報を求め、寂しがり、人に会いたがる。
どこにでも行きたがる。
でも、どこかで、オーバーヒートしてしまう。
整理がつかず、人生の思い出の棚は溢れてしまい、収拾がつかなくなる。
現代美術のコラージュみたいだ。
私の記憶帳は、アトランダムになったコラージュみたいだ。
明け方の覚醒の一瞬に見える画像は、アトランダム。
人生の景色は、一様ではない。
人生の日記帳の編集は行き詰まってしまう。
その無限の所作と、変わらぬ日常の生活が続く。
それで満足し、幸せと思えるようになる事が、大事なのだ。
高く、遠くへの思いは、この日記にも託されている。
だが、同様に、我が手の皺をのぞいたら、幼子の時の我が手と全く同じ皺なので、驚いた。
手の皺は、一生変わらないのだ。
そんな事に、老いのさなかに気が付かされる。
人差し指のペンダコも、50年は変わらず、絆創膏を撒き続けている。
50年の歴史が、一瞬の記憶と同等となる。
人生は、何も作らず、何も残さず、我が意識は、永遠を彷徨う。
どなたかの詩にあった。
じっと我が手の皺を見る。
今がその時らしい。
体温36.6 血糖139
療養日記 代表 湖山 泰成