40回目のスタート
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銀座の救急病院の再建から、始めて今年で40年になる。
新年度も、40回目。
経営者としての、新年度40回目を迎える。
創業オーナーなので、ワンマン経営そのものなのだが、最近、やりたい事が少なくなって来た。
職員の生活、幸せ以外にあまり関心がなくなってきた。
世界平和にも。日本の財政にも。医療福祉改革にも。
自己中心的だとは思わないが、他人に関心がなくなり、おせっかいではなくなってきた。
自分の将来も、不安はあるが、仕方がないことだと、思えるようになった。
来年度の計画などよりも、今日1日をどう過ごすかで、精一杯だ。
新聞、ネット、テレビで、ニュースをチェックする。
テレビも、毎日20時間は内容確認する。
録画して、スキャンするだけだが。
午前2時30分に、ネット配信の新聞を読むことから1日の仕事がスタートする。
いや、その前に、業務メールを返信している。
今日みたいに。
毎朝風呂を沸かして、短時間入浴する。
昨日は、1合お米を炊いて、半分フリカケで食べた。
お米を研ぐのは、楽しい。
数少ない手仕事だからだろう。
味にも直結するし。
日々の楽しみとは、こう言うものなのだろう。
今朝は半分、鯛茶漬けにする。
薬も、多種あって、飲み忘れないようにするのに気を使う。
出かける前には、テレビの録画予約をする。
意外に、時間がかかる。
若い時に映画館で観た映画を、テレビで観直す。
感慨は少ない。
やはり、映画は、見る環境と、時代で違う。
その事を確認する為に観ている。
1週間まるまる録画できるテレビがあるそうだが、それを買いたいとは思わない。
忘れたり、時間が重なって録画できない番組があるのも、次回再放送の時に録画する運命にあるのだ、この番組は、などと納得したりする。
ベットで、アイフォン片手に、ユーチューブをサーフィンしていたら、マイケル・ジャクソンにはまってしまった。
劇場シーンの彼のファンは、白人ばかりだなあと気がついた。
エルビスとマイケルは、アメリカ人の好みの最大値。
普段、気が付かない日常に新鮮さを感じる。
この程度にしか、頭が働かない日々だ。
歳をとると、新しい事に関心が薄くなる。
これは、自分の1日の時間が貴重になるからだと思う。
年と共に、人情は熱くなるが、義理は、気にしなくなる。
実際、知人の葬式が少なくなった。
義理を感じる先輩が、少なくなったと言う現実もあるが。
こう言う、発展性のない、内心に陥る日曜日は、不健全かもしれない。
昔は、土曜日は、映画館の日、日曜日は美術館の日だった。
ウイークデイの昼間は、日比谷図書館に寄るのが、楽しみだった。
蟄居生活に飽きて、春の虫が、蠢いてきたのかもしれない。
日々の心象の断片が、愛おしい。
自分らしくなくて、新しい自分を発見する。
パルスオキシメーター 98・97・97
体温36.3 血糖155
変わらぬ日々 代表 湖山 泰成