良い人間と悪い人間
14000人も職員がいると、悪い事をする人間が全くいないわけではない。
内部通報があった場合は、本部監査チームを弁護士、会計士の下に編成し、派遣し調査する。
当然、幹部役員により、懲罰委員会が開かれ、適正な処分が下される。
その一貫した、過程には、厳正な手続きも決められている。
私は、最終決定の承認を与えるが、量刑に手を加える事はできない。
強いて言えば、その人間の再出発に、アドバイスするくらいではないか。
昨年から、コンプライアンス教育も、会計士のもと力を入れている。
求められるのは、知識、能力より、その人間の誠実さだ。
人間は、良い事も悪い事もする。
何故か、善良な人間が悪い事をする時がある。
職場の悪事を見て見ないふりをする事だ。
悪事を知ったら、自分で止められなければ、上司に通報しなければならない。
それができなければ、悪事の共同正犯だ。
相談を受けた、上席の幹部の行動責任も重い。
迅速な対応とは、言えない事もある。
特に、現場から遠い事務幹部職員に多い。
私が1番軽蔑するタイプだ。
逆に、行動的で、業績を上げていると評価されている職員が悪行をする。
コンプライアンスを守らないのだ。
傲慢さと、自己中心的な思いやりのなさの成せる技。
人間は、成功と権力を握ると、悪くなる人がいる。
それは、育ちか品性か、教育か、人間性か。
私は、持って生まれた人間の器量だと思うようになった。
課長の時は輝いていたのだが。
部長になったら、後ろ向きで無責任になった。
施設長になったら、部下に思いやりや、優しさがなくなった。
そんな例を見ると、人事考課や、出世人事の難しさに苦難する。
それでも、若い人を昇進させて人生のチャンスを与えていかなければならない。
人に裏切られるたびに、人を信用する事の大事さを痛感する。
自分自身が、組織を管理して責任を持って経営できる範囲はどこまでなのだろうか。
呻吟する日々だ。
もう、これ以上施設を増やすのは、辞めなさいと言う父の声が天から聞こえてくる。
世界不況の前に、艦隊の船は出来るだけ増やしておきたい。
屈強な船員に育てたい。
無限に、成長し、且つ、適正に教育管理できる組織というのは、あり得ないのだろうか。
満貫の経営書にも、無限の会議でも、その答えは見つからない。
一人、神の啓示を待つ心境だ。
40代の、教会に通った頃の心境を思い出した。
この日記を書く時間は、お寺での座禅なのか、教会での神への告解なのか。
職員への懺悔のような気がする。
許されるわけでも、許して欲しいわけでもないのだが。
パルスオキシメーター 98・98・97
体温36.5 血糖222
許されざる者 代表 湖山 泰成