カメラを捨てる
私は、政治意識の高い中学生だった。
水俣問題や、ベトナム反戦市民活動に参加していた。
といっても、大学での、勉強会や、集会に参加するだけだが。
高校生の頃は、戦場カメラマンに憧れた。
高校では、写真部の部長を務め、卒業写真集も編集した。
学校でも、いつも、父から貰い受けたライカM3を首に掛けて、教室でのスナップ写真を数えきれないくらい撮影した。
可愛いい女子学生ばかり撮っていたような気もする。
でも、今は、カメラを封印した。
社会人になってからは、当事者として、他人に、レンズを向ける事が憚れると感じたからだ。
特に、医療福祉の仕事場では、写真を撮ることは、難しい。
40年前に、病院で患者のイベントでの笑顔の写真集を作ろうとした。
でもその際に、1番反対したのは、職員だった。
結局、家族のアンケートを取った上で制作したのだが、大人気で増刷したほどだった。
その写真集は、スマイルスマイルと名付けた。
カメラを持っていけば良かったと思ったのは、東日本大震災の2日後、ヘリコプターで気仙沼に飛んだ時だ。
でも、気仙沼の被災地現地で、レンズを向けるのは、出来なかったと思う。
心理的に、シャッターを切れない。
目前の被災地に、冷静にカメラを向ける事など、できない。
その間にも、人間としてすべき事があるだろう。
そう、気持ちが攻められるのだ。
戦争カメラマンも、そう責められると聞く。
戦地で死んでいく兵士の写真を撮るくらいなら、何故、助けないのか。
でも、カメラマンの役目は、歴史の証人として、世界に悲惨な戦地での写真を届ける事だ。
でも、目前で死んでいく兵士に冷静にレンズを向けるのは、プロでなければ出来ない。
耐えられない。
医療介護の世界も、同様だと思う。
私は、冷静な観察者にはなれない。
血を流して戦う、戦士になりたい。
せめて、戦友として、弔いをする立場にいたい。
そうして、私は、カメラを捨てた。
今は、カメラを向けられる当事者である。
倒れていく老兵である。
血糖234 焼きたてレーズンパンが美味しい。
含水炭素中毒 カーボンダイエット脱落者 湖山泰成
