銀座資生堂
銀座の街角の顔となるビルと、銀座文化の顔は、資生堂と和光だろう。
ソニーと、日産のイメージは、後退してしまった。
銀座祭りでも、デパートと資生堂の夜間のパレードが際立って、華やかだった。
その創業家の福原義春さんは、経営者としても、文化人としても、一流だった。
芸大の教授や、東京写真美術館の館長も勤めた。
ゴルフはやらず、週末は、鎌倉のご自宅の温室で、蘭の手入れをしていた。
そのご自宅の隣の病院の看護婦寮が売りに出された時、私に買わないかと打診された事があった。
その時は、とんでもないと、お断りをしたが、今となれば、買って、お隣付き合いを出来れば良かったと後悔している。
また、その蘭の写真展を、自らの撮影は勿論、現像もご自身でなされ、和光の催事場で開催した事もあった。
私にとって、公私共々憧れの財界人だった。
銀座のロータリーで同席すると、いつも楽しい芸術の話題で、経営の話は聞いた事がない。
その福原さんの後任で、商店街の役員にもなった。
世界の資生堂よりも、いつまでも、銀座の資生堂であって欲しい。
MA戦略で、会社買収でマーケットを世界に広げた大企業は、大抵、苦労している。
日本の技術と文化は、不可分で、そのまま世界に通用するのではないと思う。
湖山Gも、銀座で生まれ、日本の文化の産業である。
医療介護も、日本の文化だと思っている。
残念だが、アジアと言えども、外国には通用しないだろうと思っている。
血糖152 体重71.8 銀座の元若旦那、今、銀座の御隠居 湖山泰成
